象の夢を見たことはない -156ページ目

僕の目は死に痛みを…

卒塔婆ってストゥーパ(stûpa)から来てたのね。
おっ?あの切り込みって決まった数があったんだね。そういう意味か。知らんかった。まあ、それは置いといて。

あれってぶっちゃけ墓の場所が分かるようにだとおもってたのだが、そういうものじゃないんだろうか。
東狂黒のPV(MV?)を観てて、十字架が林立しているシーンが。
でふとマレーシアで見たパーム畑を思い出した。

$ニャンちゅうなブログ-パーム畑

マラッカからの高速道路を走るバスの車窓でこんな景色が見えだして「なんじゃろうな?」と。
で、もうすこし近づいてみると

$ニャンちゅうなブログ-パーム畑

頭が切り落とされたヤシ畑だった。結構異様な風景ではあったので、写真を撮ってみたのだがなぜ異様かと思った理由ってお墓に見えたからなのだろうかと。
そういう感覚っていうのは、根源的なものなのかなあと思っていたけれど、最近PENのイスラム教っていう雑誌をパラパラ読んでいて

$ニャンちゅうなブログ-イスラム

この雑誌結構面白かった。普通の人にはあたりまえの知識なのかも知れないけど、あたりまえのことを知らない自分…。
そういやイスラム教徒のお墓ってどういうのだろうと気になり。どうも風土によって違うらしく遊牧民だと墓石などないとか。どうせ砂に埋もれて見えなくなるからと書いてあったけどほんとかなあ。理由は違うような気がするが。キリスト教徒のお墓だと、土に埋め込んだ石板みたいなのとか、ベトナムにはたしかお墓マンションみたいなのがあった筈と、ググりだしてしまった。

うーん、共通しないなあ。やはり、よその国のお墓っていうのは見りゃそれなりにわかるけど、こうイマイチどろどろした恐ろしさがないもんだね。

ていうか考えてみたら立ち枯れた林って異様だし。
お墓じゃなくて多分そっちで反応したんだわ(苦笑)
しかし首がばっさり切られてる感はちょっとコワイ。

ところでマレーシアだが、ボルネオの方にはヘッドハンター(首狩族)が住んでいてガイコツの絵のヘッドハンターTシャツを着たガイドの兄ちゃんがいた。カリカチュアライズされてなくて野性味があるTシャツで同じデザインのTシャツをコタキナバルで探してたのだけどなかった。まあ、旅の目なので服に関しては大して当てにならなかったりするのだけど。

夜会 

この間、月食を観たときに逆に月の明るさを再認識した。
月って明るいんだね。マジ眺めすると。

ただ、新月というのを子供の頃から知らない。
曇っているときでも月夜は明るいのだろうか。
新月の夜歩く。
そんな経験をした記憶があまりない。

深い闇とシンクロする。



そういう感覚は子供の頃にしかないのだろうか。

いつもこの時期、年末が近づいてくると夜の闇が深くなる、ただし心の中だけで。
なんでだろう?
ん?あひらめき電球、大つごもりって月隠りからきてるのか。
どうりで…。なるほどぉ、そういうことかあ。陰暦なんて気にしたことないんだけど。不思議だ。言霊ってやつなのか?日本人だねえオレも。

なぜかそういう暗さをどこかで心地よく感じてしまう自分がいる。
キツネ狩りは素敵さ ただ生きて戻れたら、ね。

君と駈けた君の仲間は
君の弓で倒れてたりするから

2011 -DEVIL INSIDE-
FUTOSHI TAKAGI ONEMAN
12/27 tue. NAGOYA CLUB UPSET
12/30 fri. YOKOHAMA BAYSIS

名古屋やっぱり行ってみようか。



男の魂、螺旋に乗せて…て。ほんま悪乗りし過ぎやわ笑。大笑いした。
さて2012年バージョンはどんなかな。

クリスマス

セブンイレブンに行ったらワム!がかかってた。

…何年前のやねん。うーんバブりー。

そしてボジョレーヌーボー2011が売れ残っていた。

…あーあ、そういう戦略?無理。



じゃあ、対抗してクリスマスと言えば、ティムバートン。

のアニメ『ステインボーイ』

暗くてでもどこか滑稽で…どこか悲しい。。



うたうたい

『garden』 sugar soul feat.Kenjiを観ていたついでに『grateful day』を観た。
男子ボーカル二人の確執はさておき、今でも風化してないのは逆にACOの声とこのメロディーだと思う 。女には勝てないね。

って書いてみたのだけれど、自分がそう思う理由はなんなんだろう?
たぶん声の質が一番の理由なのだろうとは思う。

ところで赤ちゃんって父親の声って認識できるのだろうか。母親の声を聞いて育つからか、遺伝的な要因なのかは定かでないけれど、ごはんを貰ったりあやされたりしながら、自分の感情が女の人の声によって育てられるからっていう理由も大きいんだろう。

それとは別に、協和音と不協和音の快・不快とか。声の中に倍音が入っているとかあるのだろうか。なぜそれを快・不快と感じるのかは、わからないでもないけど、メロディーの話になるとさっぱりわからない。脳波との共鳴?ゆらぎ?全然わからん。

自分自身で自分の好みの理由がわかるものとしては、それが、無心で無私であることのようで。自分のために歌っているわけでも、人に届けようとしているわけでもなく、歌そのものと渾然一体になって歌っている姿というのは、なぜだか見ててわかるような気がする。



感情なのだよね。たぶん声で伝わる感情で。
赤ちゃんはおかあさんの言葉じゃなく声質に反応して相手との感情的な距離を測るのだと思う。そうやって育つから、言葉は二義的でしか過ぎない。
そもそも感情が言葉だけで伝わるわけない。
人の感情ってもっと複雑で深いものだと思うし、それをこそ身体も含めて沁みつくように身につけるものだと思う。だから、そういうことも見ててわかるのだと思う。

歌い手の言葉は自分にとっては一番ではない。
言葉より相手の感情のバイブレーションそのものを生で受け取りたい。

歌は自分にとってはそういうものだ。
感情であるが故に結局は儚いものだけれども、人がいる限りそういうのは伝わる。
そういう意味で永遠なのだろうと思う。

占い好き

『アジャストメント』を観ていた。まだ途中。



設定が運命論で神様が人の形をしているという点があまりにキリスト教的でバカバカしいなあと。

一方で『家政婦のミタ』を観た。こちらは設定は今の現実からそれほどかけ離れてはいない。

ただ、その方向性がまるきり違う。
『アジャストメント』の主題は運命に反抗する強い意志で。
『家政婦のミタ』を観て自分が感じるのは相手を自分の内に取り込もうとする感情。
ねっとりとまとわりついてくる他人の感情に気味の悪さと閉塞感を感じる。

牡羊座B型。A型の国には適応できないわ。
だがそんなふうに占いを信じてしまう自分は結局中途半端なのよね苦笑。