早朝から降り出した雨は大粒で激しく、時折ジャリジャリとした水分の多い雪が混ざっている。
 みぞれほどではないけれども、寒さは真冬のそれと同じく頬に突き刺さるように、痛い。学校は突如休校になり、いきなり時間が空いてしまった。
 世間的には良くないとは知りつつも、電車に乗って都心部へ向かう。
 校舎には誰もいないし、私物も弟と手分けして持ち帰ってしまっている。おかげで、大荷物になってしまった。
 休みだからといって、自分も暇になるというわけでもない。学校で渡された課題も多いし、休校の要因である、年明けから流行り出したというある感染症により、街中の空気は始終ピリピリとしている。
 その片隅で、ジワリジワリと澱みが広がっているように思えて仕方がない。
 だから、いつもなら勉学に励む時間帯に歩き回らなくてはいけなくなってしまった。学生服など着ていては、どこの学校だと巡回中の警官に質問されるだろうから、ダウンジャケットにマフラーを巻いて、外出することにした。
 弟がそう提案してくれたおかげで、身体が冷えない。指先があたたかいまま、動けるということはありがたいことだと、繰り返し繰り返し様々な時代の持つ背景を色濃く受ける季節を味わった身にとってはひしひしと、感じさせられてしまう。
 車内は時間差出勤のためか、空席が目立つ。窓の一部は空いていて、換気と称して冷気が車内に吹き込んでくる。頬にかかった髪が、ひんやりと冷たい。長いまま毛先しか束ねていないせいで、ぱさぱさと額に近い部分がほつれていく。たまにはきれいに束ねたらと弟は、困ったように言う。
 変なところが、兄貴は、面倒くさがりだねとも言う。
 無口な自分に比べて、弟……正しくは血縁もないから弟分というものなのだが、留意はよく喋る。表情が目まぐるしく変化して、幼いままなのに順応性が高いらしく、世の中にすんなりとついていっている。
 揃いでスマートフォンを契約しても、使いこなしているのは留意のほうだ。
 今朝も、出かける時に行儀が悪いと注意してもトースト片手にスマートフォンを離さないまま、留意が転売という流れに「ひどい話だよなあ」と、眉間にシワを寄せた。見せてもらった。
 スマートフォンの画面には、年末まで千円出せば釣り銭がくる大容量の使い捨てマスクが、まるでハイブランドか高度医療機器のような値段で売られていた。やすくとも一万円台、高いと天井知らずで数十万円というものもあり、目を疑った。
「なんかさ、嫌な世の中だよなあ。もう少し助け合ってもいいじゃん、高く売りつけるなんて、ほら、兄貴が言っていた、戦後のさ……」
 闇市のことか、と答えると留意はそうそう、と軽い感じでうなずく。確かに、留意が見せてくれたオークションサイトでの価格は、法外と言っても大袈裟ではない。買い占めた者がいる対局に、不足している、困っていると声を上げている者は少なくない。むしろ、困っている者のほうが多いに違いない。

 嫌な流れだよねえ。
 最近さ、そこかしこで見かけるし。
 ねえ、こんなこと今まであったっけ?
 
 呑気に問う留意の顔にも、いささか不安が見える。

 そこかしこで見かける、矮小な、踏みつぶせば簡単に消えるようなアレがジュクジュク蠢く。刃物など使う必要などないほど、矮小で、それでいて今まで相手にしていたモノよりもはるかに生臭く、どす黒い息を吐くようなモノが。

 魔性と呼ばれる存在は、人間の強欲が主となって産まれる。

 操り、従わせることを生業とする奴もいる。

 けれど、最近目にする奴らは……。
 アレは……。

 冷えた空気を吸い込んだせいで、車内で数回、咳き込んでしまった。

 じろり、と周囲の人間が俺を睨んだ。ほとんどがスマートフォンを片手に持ち、マスクをしている。丸くぬらぬら光るレンズが俺に向けられた。
 電車が停車して、目的地である駅に到着する。
 不服ではあるが、降車時にすいません、と軽く会釈をして背を丸めて俯きつつホームに出た。
 発病はおろか、自分は感染しないと分かっていても、周囲がそれを察するはずがない。
 なんて、タイミングが悪いのかと俺は俯いたまま、安いマフラーで口元を隠しICカードをスキャンしながら改札を出た。帰るときは課金、チャージしといてと留意に言われたことを思い出した。
 スマートフォンのロック画面に表示された時刻を見ると午後三時半。天気が悪いせいか、すでに外が薄暗い。雨は小降りになってきてはいるけれども、寒さは変わらない。繁華街を歩く人は少なく、店の呼び込みと思しきユニフォーム姿の男女が、マスク越しに寒そうに白い息を吐き出して、声を出している。

 車のショールームとか、商業施設ビルとか、その合間に見かけるよね。
 今まではさ、そんなとこから出なかったじゃん。
 世の中は変わったのかもね、俺たちが知らない間にさ。
 だから……出るようになったんじゃないかな。
 小さいんだけど、毒性が強そうというか、嫌な心を凝縮させたような魔性がさ。
 まあ、あくまでこれは、噂なんだけど……。

 なんだかわからないものまで、捨てられるようになっているみたいだよ、例えばペットボトルの蓋だけが大量にとかさ。

 留意の話に妙な不安感を覚えて、自分が行くことにした。自らおいてけぼりになった俺には、できることがだんだんと、限られている気がして、いささか焦りを感じてしまう。

 もし、進化していたら。進化して、危険性が増していたら。
 いままでと同じ方法で、消せるのか?
 もし、歯が立たないときは……。

 いや、いけない。
 こんなことじゃ、だめだ。

 言い聞かせ、繁華街を歩いてみることにした。