繁華街も、人がちらほらとしか見かけられない。チラシ配りをする居酒屋やカフェ、カラオケ店の店員もみなマスクをしている。いかがですか、とチラシを渡されそうになり拒む。寒いのに大変だと、他人事のように思ったが自分も変わらない。

 それにしても、閑散としている。

 季節柄、送別会だなんだで平日の夜遅くも賑わうはずだが、まるで今までの風物詩は夢で見た事であり、全て嘘でしたとも言いたげに静かだ。
 ただ、チラシ配りや呼びかけの声だけが、そうではないと必死に抵抗しているような印象を受ける。

 こんな場所にも、いるんだよ。
 いや、こんな場所だからこそ、いるんだと思うよ。
 あいつが、仕掛けたのとは違う。
 兄貴ほどじゃないけれど俺にだって、勘みたいなものはあるんだからさ。
 でも、気をつけて。

 なんだか嫌なにおいがしたんだ。焦げたような、生臭いような、それから……腐ったような。
悔しそうに歯軋りをした口の中みたいに、じめじめとしたような。
 ごめん、うまく言えなくて。

 兄貴は強いし、負けないとは思うけれど、でも油断はしちゃだめだよ。

 油断していたら、連れて行かれるかもしれない。
 どこかはわからないけれど、今までとは、違うと思うんだ。
 気をつけて、俺も、気をつけるから。

 留意が困った顔で打ち明け、心配してくれたのはたのは先々週だ。
 たまたま牛乳を切らしたからと近所のスーパーまで買いに行った時に見つけて、まだ小さいものだからと油断し、そのせいで左手を負傷したことをひどく後悔していた。帰宅した時に、庇うようにしておさえていた留意の左手からは、血が滴り落ちていた。
 気をつけて、兄貴も気をつけてよ。
 手当てした左手をさすりながら、自分が痛手を負ってもなお俺を心配してくれる優しさは嬉しく、それでいて傷つけた対象に怒りがふつふつと湧き上がり、増殖していく。
 しばらくは自分が対処するとことづけても、最初は納得しなかったほどに留意は気にかけていた。SNSを賢く使いこなして、ほかの闇猫たちとも簡単に連絡を取り合ったり、世の中の噂やデマを含めた動向を確かめることもたやすく行う。知ることは良いことでもあり、悪いことでもある。わかっているよと答えられても、身に染みたのは留意にとって、今回が初めてかもしれない。

 それにしても、今日は寒い。花冷えにしては、本格的すぎる。
 雨空を見上げて、ふうと白い息を吐く。
幸いにも水分の多い、べちゃべちゃとした雪は降り止んで、大粒の雨だけがその名残りを語るように、降っている。

 ふと、俺は産まれた場所……自分が未だ生身の「人間」だった時を過ごした場所を思い出す。
 震災があり、未だ立ち入れるかどうかわからないまま時間だけが過ぎている、あの場所が。
冬になれば、雨よりもはるかに雪の降る日が多い。凍てつく沈黙をもたらす白い景色が悲しくも、懐かしくもある。

 感傷に浸り、佇んでいた時だった。

 カサカサ、ガサガサ。
 ガサガサガサ、カサカサ。
 ごとごとごとごと、ごとごとごとごとごとごと。

 なにアレ、気持ち悪い。
 やだ、いたずら?
 チラシ配りをしていた若い、ひらひらとしたワンピースに白いエプロン姿の少女然としたカフェの店員が、きゃっと叫びをあげ、指をさす。
 先には、コンビニの外付けされたごみ箱があった。
 家庭用のソレよりもはるかに大きなものだが、それがカサカサ、ガタガタと生命を吹き込まれたかのように揺れ、動き、派手な音をたてて中身をぶちまけているではないか。
「……アレ、なのか?」
 掌で、寒いにもかかわらず額に浮き出た汗を拭い、ゆっくりと呼吸しながら、俺はごみ箱に近づく。
 きゃっ、とコンビニから出てきたスーツにトレンチコートを羽織った若者が驚いて飛び上がるようにしてかけていった。
 店内からガラス越しに、様子を伺う店員と客の視線が、自分にも向けられる。
 
 ぼとん、ぼとぼとっ。
 ごしゃごしゃ、ごしゃごしゃ、くしゃっ。

 壊れた掃除機のように、ゴミ箱の中身が吐き出されるように逆流して、足元に散らばった。
 同時に、吐きそうなほど生臭いにおいと、散らばったものに身動きが出来なくなる。
 うわっ、うえっという叫びが周囲から聞こえてくる。

 散らばったものを見て、目を見張った。

 耳が片方ちぎれた、ウサギのぬいぐるみ。
 片目がない、くまのぬいぐるみ。
 髭が無造作に切られた、黒猫のぬいぐるみ。
 くちばしをぐしゃぐしゃにちぎられた、小鳥のぬいぐるみ。
 赤く顔を塗られた、パンダのぬいぐるみ。

 どれも小振りで、ゲームセンターにある、クレーンゲームでとった景品にはちょうど良い大きさをしている。
 しかし、この数はコンビニのゴミ箱へ捨てるには、量が多すぎる。ごろごろ転がり落ちてくるもののなかには、あきらかに古そうで、どこかに押し込んでいたような色あせたものまで含まれている。雨に濡れて、余計に無気味な佇まいを増していっていた。

 バタン、バタンと捨て口にある仕切り板が動く。
 ここにいるのか、とひとりごちる。留意を傷つけて心配させることになった原因になる存在が。
 矮小で、毒の強い魔性が。

 あいつが操る以外に湧き出てきた、魔性が。

 人間の、嫌なところ。
 本当の姿だよ、標意。あれが、人間の……。

 違う。
 違う、違う、違う違う違う。
 本当の姿なんて、そんなこと、あってたまるか。
 でも、あれは?
 咳き込んだときに向けられた、睨む視線は?
 向けられた、スマートフォンのレンズは?
 高額で競売されている一方で、品不足に貧窮する生活用品は?

 きりがない。
 俺は落ち着け、と自分に言い聞かせるためひとりごち、駐車場のアスファルトに膝をつき、ゴミ箱のバタバタとけたたましく動く蓋をぐっと鷲掴みにした。
 
 うぅあ、と悔しそうな低い声が、ゴミ箱の中から聞こえた。
 
 逃がさない。絶対に。

 出てこい。

 姿を見せろ。

 歯が、カチカチと鳴る。
 寒さだけではない震えにガタガタと、全身が襲われる。
 情けなくて、ぎゅっと唇を噛む。ぷうん、と傷口から滲み出る血膿のようなネバついた臭気が、ぬいぐるみから漂ってくる。
 がさがさ、ずるずるずるとぬいぐるみが這うようにして、俺の周りを取り囲もうとする。
「……近づくな、汚らしい」
 俺は片手でゴミ箱の蓋をがっしりと掴んだまま、もう片方の手で掴んでいた傘を円を描くようにして、わざとガリガリ、ガリガリと音をたてながら振り回して追い払った。

 宿主は、ゴミ箱から逃げそうな気配はない。
 あとは、いつもと同じ。
 そうだ、いつもと同じだ。
 踏み潰すか、斬り捨てればいいだけだ。

 悪臭が、むっと強くなる。目がしみて、視界がにじむ。
 ゆっくりと、蓋をおさえつつ、中を覗き込む。

 ぐぅあああああああ……。
 ぶぅあああああああ……。
 血生臭い、戦の最中に嗅いだ、命を散らせた若者が漂わす悲しく、耐えがたい臭気がゴミ箱の中には充満していた。
 
 留意が、気をつけてと繰り返し言っていた通りだ。
 ゴミ箱の中で呻き声をあげながら、ゴミと化したぬいぐるみ、汚れた使い捨てマスク、黒ずんだボトルに入ったハンドジェルなどとぐしゃぐしゃに混ざり合っているそいつと、目が合った。

 ギョロリと、血走った、丸い大きな目。
 人間のものと似ているが、大きさはこちらのほうが上だ。
 お前か、と俺は低く、ゆっくり問う。

 ぐぅあああああああ……。
 ぶぅあああああああ……。
 答えにも言葉にもならない呻き声を挙げ、ゴミ箱の主は卑しい光を湛えた目で俺を睨む。
ゲル状になり、ゴミ箱の形にはまるようにして棲息しているのだろう、むわあっと生温い、腐臭の強い息が顔にかかる。

 枯れ枝のような、黒くて、尖った触手も見えた。甲虫のような、細かいトゲがびっしりと生えている。背中がゾワゾワと粟立ち、胃がキリリと痛んだ。
 息を止めて、足元に散らばったぬいぐるみを手掴みし、乱暴に押し込む。
 誰も手を出そうとせず、汚いとか、キモいとか、嫌な言葉を吐くだけ。
 スマートフォンのカメラ機能が出すおなじみの、シャッター音が聞こえる。
 当事者にはなりたくないけれども、注目を浴びたいから撮影しようとしているんだろうか、SNSに掲載して閲覧者を増やすために、そのためだけに。

 手を貸してくれる奴も、優しく大丈夫かと声をかけるものなどいない。
 遠巻きにし、囲って、眺めて、記録するだけ。
 対岸の火事だと高みの見物をしているような、調子のいい、狡い行い。

 ぐううあああああああああ……。
 ……おおおおおおおおおおおお。
 ゴミ箱の中で窮屈そうに暴れ、黒く鋭い触手を出してくる相手に段々と、苛立ちが増してくる。威嚇をしているのか、それとも助けを求めているのか。目は血走り、涙を滲ませている。
 俺はゆっくり立ち上がり、「ふざけるな!」と怒鳴って、ゴミ箱を蹴った。
 ざわざわ、ざわざわと周囲が不穏にざわめき出す。
 嫌いだ、この音が俺は大嫌いだ。
 見ているばかりで後出しの言葉ばかり画面上に並べて、自分たちはさも良い助言でもしたように、鼻高々で振る舞っている。

 どうして俺が、片付けなきゃいけないんだ。
 面倒臭いことは、てめえでしやがれ。
 わざと壊して、捨てるなんてどんな神経か。
 理解できないにも、ほどがある。

 口に出せない文句と一緒に、日常が非日常と化す現状が頭の中で、グルグルと回る。

 ドラッグストアには、いつも店頭に山積みされていたはずの生活用品が、軒並み売り切れている。
 さっき、留意から見せてもらったスマートフォンの画面だって、ありえない高額で生活用品が……。
 誰かがやめようと呼びかけることもなく、テレビをつければ不安を煽る発言ばかりで、解決がない。足元を見る儲け方や、オーバーに脚色した映像ばかりが目について、ムカムカと胸の中でしつこい苛立ちが、渦を巻きはじめる。

 多すぎる。
 多すぎるんだよ、この頃。
 お前みたいに小さくて、小さいくせに毒が強くて、ひどい怪我になるようなやつが。
まだ、宿主は生きていて、そいつは陰鬱に、悪いニュースばかり目にしては、汚い言葉を画面に浴びせているんだろう?
 変わりたいのに変われない自分を、置き去りにしているんだろう。

 馬鹿らしい。
 そのせいで、俺がどれだけ、イライラしていると思っているんだ。
 留意がどれだけ痛みに呻いて、心配しているか。

 心配されたい、見てほしいと煩悩を吐き出すのは勝手だが、片付けもせず、あからさまに廃棄する。

 このぬいぐるみみたいに、売れなくなったら八つ当たりだけはして、コンビニのゴミ箱へ捨てて忘れる。自分だけは何事もなかったように振る舞って、面倒なことは人任せにして、自分は自分は自分さえって、逃げて逃げて、見下している者たちに後始末させて、てめえは何食わぬ顔か。

 そんな奴らのために俺は、留意は……。
 ゴミ箱に、ぐっと爪を立てた。

 震える声で、呼びかけてみる。
「ここから失せろ、自分の始末は自分でしやがれ。軟弱が。それとも俺が……ジワジワと、噛み砕いてやろうか」
 バタバタバタバタッ!
 ゴミ箱の蓋が開閉を繰り返し、けたたましく鳴る。
 うるさい。
 うるさい、うるさいうるさいうるさい。
 バシッと、平手でゴミ箱の側面を叩く。

 ずるん、と粘り気のある音をたてて、黒く節くれた触手が飛び出して、俺に襲いかかってきた。悲鳴がそこかしこから挙がり、頭の芯にずるずるとした粘っこい声が響く。
 奴の声だと、俺は確信する。
 
 ……うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい、ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい。
 ……みんなやってるみんなやってるみんなやってるみんなやってるみんなやってるみんなやってるみんなやってるみんな……。
 みんな?
 震えが、段々とおさまってくる。
 言い訳を、極端に少ない語彙で並べ立てる奴の思考を鼻で嗤う。
 みんなってのは、誰なんだ。
 少なくとも、俺は違う。
 お前が知っている、お前が言うみんなって、誰なんだ。
 教えろ、きかせろ、名前を述べろ。

 確かめに、行ってやるよ。

 追い詰めるように受け答え、芯に響く悲鳴に、ベロリと舌舐めずりする。
 答えられないだろう、答えられるわけがない。
 みんな、なんてどこにも居ないくせに。

 最初から、都合の良い、物事しか見ていないのだから。

 があああああああああ……!
 フタを壊し、黒い触手が襲い掛かろうと、生臭いにおいをはなちながら、増幅する。
 こいつに、留意が傷つけられた。
 自分勝手で、意地汚い、いやな相手に。
 刀などもったいない。
 汚く、変わり果てた人の心になんか、汚されてたまるか。

「……黙れ、化け物が」
 数歩後退し、構えて爪を立てる。
 怪我なんて、すぐに治るさ。俺は闇猫だ。
 お前のせいで、刃が汚れるなど、虫酸が走る。

 ぐぉああああああああぁっ!
 叫び声に、耳が痛くなりながら、黒い触手を力任せに引っ掻く。
 ぶしゅう、と赤黒い血が吹き出し、傷口から同じ色の肉が覗く。

 消えろ、消えろ消えろ消えろ。
 
 指先が、ジュっと焦げて、鋭い痛みが走る。
 構うものか、お前なんかに、負けない。

 噛み付いてやろうか、この牙は痛いぞ。
 威嚇しながら、呻く相手を誘う。

 周囲には、人だかりができている。
 増え続けて、動画を撮っている奴まであらわれた。好きにしろ、どうせ記憶も何もかもあとで真っ白に消してやる。
 雪が降る、もう訪れることも叶わない、故郷のようにな。

 消えろ、もう二度と……闇猫の前に、現れるな。
 そう念じながら、右手を振り上げた時だった。
「標意!」
 男にしては、やや高い声色で、俺の名を呼ぶ声がした。

 ガシッと、右手首を掴まれる。
 だめだ、もういいから、もういいから。
 標意、もういいから。
 声の主が俺を見上げた。禿のように切りそろえた栗色の髪に、不安げな顔がくっついている。見慣れた顔だ、いつもならこんな助け舟を出すような真似なんかしない相手だ。
 そいつは片手で俺の手首を掴み、もう一方で触手に小さなビー玉みたいな球体を押しつけ、ジュワジュワと炭酸の泡のように消している。
「離せ、離せと言っている!」
「こいつは、君たちが始末できるようなものじゃないよ!僕だって手を焼いている、姉さんもだよ、だから……」
 目の前で、黒い触手が細かな墨粒のようになり、大気へ溶けていく。
「それに標意、火傷してるじゃないか、手当ては?消毒する、だからもう爪を立てないでくれ、頼むから。そうだ、これで……」
 心底、気にかけている様子で景介がコートのポケットからハンカチを出すと、グルグルと俺の指先を巻き出す。
「標意、あの魔性は相手にしない方がいい。悪いが、君から仲間には伝えてくれ。そうじゃないと、こっちも、本当にどうすれば……」
 言葉に詰まり、黒目の大きな瞳を伏せて景介が悔しそうに、唇を噛んでいる。
「休校になった校舎にも渦巻いている、今は僕と姉さんも調べている最中だ。だから標意、君は決して……」
 ハンカチを巻かれた手を握り、心配そうにする景介を突き飛ばす。
「この意地っ張り!僕だって酷く痛めつけられてんだ!」
 コートを脱ぎ、景介はニットの袖をまくる。
 痛々しく、血の滲んだ包帯を巻いた腕。じゅわじゅわと、焼けるような鈍い音がする。
「これで解ったろ?」
 何も言えず、俺は目を逸らした。魔性を操り、ずっと、闇猫達の相対する立場としている景介には魔性を操る力も、人間から吐き出させる能力も備わっている。なのに、そんな景介に対して牙を向ける魔性がいる。
「僕だって、考えたくはない。でも標意、変わったんだよ……世の中は。人の気持ちは。モラルは。君は信じたくないだろうけれど‥…悪い方に」
 雨はまだ、ざあざあと降っている。
 足元の水たまりはどす黒く、さっきまで相手にしていた魔性の名残が見て取れた。
「とにかく、意地っ張りはしないでほしい。君はまだ生きていてほしいから、塩を送ることぐらいさせてもらっても、貸し借りにはならないんじゃないか?」
 俺は黙って傘を景介に握らせ、駅へ向かった。

 指先が、まだじんじんと痛む。
 
 景介は治るのに、どれほど時間を要するのだろう。

 ワイドビジョンを見上げると、感染症のニュースが放送されている。
 俺はドラッグストアに入り、包帯と消毒液、それから化膿止めを買った。

 白々しい宣伝のアナウンスが、せめてもの救いとすがるように耳をすませながら。


 影崎標意
 影崎留意
 御陸景介

 大好きなトリオです。
 巷間に蔓延るピリピリした流れを、標意の視点で書きました。
 推しには時間かけちゃうよなぁ……。景介にいい奴のポジさせるし。

 いつもはホラーとか書いてます。エブリスタで。
 長編の「うおのめ」、ほか短編も呼んでいただけると幸いです。
 ではでは。