ゴールデンワークは東京に行き4月29,30日、5月2,3日とセミナー受講しました。
合間の5月1日、鎌倉へ行き、寺院・神社巡りをしました。
円覚寺→明月院→建長寺→鶴岡八幡宮→源頼朝の墓→鎌倉宮→長谷寺→高徳院![]()
と沢山歩きました。
高徳院の鎌倉大仏様
その時うれしかったのが、若い方々を沢山お見かけしたことです。
今後、グローバル社会化がもっと進んで行くことは確かでしょう。
海外の方々と交流を持つとき、あるいはビジネスをする時、自分自身が何者であるか
いわゆるアイデンティティが必要不可欠です。
自分を知る、そして自分が育ってきた日本の歴史・文化を知ることはとても大切なことですね。
先日、川崎葉子さんが講演の時、お話なさったエルトゥールル号遭難者救助をご紹介します。
1980年トルコのエルトゥールル号が台風により遭難し、その船員を大島の島民が助けたお話です。
この遭難に50戸、400人の大島村の村民が総出で救援にあたった。しかし、どんどん死体があがり、息がある人たちも身体が冷え切り虫の息だった。そこで村民たちは「死ぬな」と叫びながら、自分たちが裸になってその体温で暖めた。しかしながら生き残ったのはわずか69人であった。
この時台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は、樫野の寺、学校、灯台に収容し、浴衣などの衣類、卵やサツマイモなどを供出し、献身的に生存者たちの回復に努めた。
400人しかいない村で、69人の食料を提供することは大変な事だった。食料はすぐに底をついた。食べさせたくとも自分たちの食料すらなかったのだ。そこで村人たちは、自分たちの非常食として飼っていた鶏を料理し始め、彼らはこれで命をとりとめ、トルコに帰国することができた。
それから時が流れた1985年イランイラク戦争のためサダムフセインは「3月20日午後2時以降、イラン上空を飛ぶ飛行機はすべて撃墜する」と発表した。各国がイラン在住の自国の人々を救出する中、日本も日本人脱出希望者215人を救うため当政府は航空各社に救出を依頼したが飛べる会社はひとつもなかった。
そんな打ちひしがれた邦人になんと「トルコ航空が救援にくる」との一報が入った。日本機ではなかったので到着まで信じられなかったと言う。
2機のトルコ航空機は無事フライトし、一路トルコへ。日本人全員が救出された瞬間である。
日本が救出断念した危険なフライトをなぜ遠く離れた国トルコの飛行機がフライトしたか![]()
その飛行したパイロットに理由を聞いたそうです。
「日本がエルトゥールル号が遭難した時、船員を命がけで助けてくれたから」
「なぜ、その事を知っているのですか?」
「トルコ人はみんな知っている。なぜならば教科書に載っているから・・・」
子供達に日本人の素晴らしさを伝えていくために私たちが日本の歴史や文化をもっともっと勉強しないといけないようですね。


