失敗することより、人の失敗や努力を笑うほうが何千倍も恥ずかしくない? | あいまるーむ2号室

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『あいまるーむ』はYouTubeチャンネルの名前なのでそのお隣的な存在の意味で『あいまるーむ2号室』という名前にしました︎︎︎︎︎︎☺︎

こんばんは、合野愛佳(ごうのあいか)です。


​今の世の中って、どこか「冷笑ブーム」みたいな空気が漂っている気がしませんか?


何か大きな夢を語ったり、何かに泥臭く本気で挑戦したりしている人を見かけては、一歩引いた冷めた目で見下ろしたり、「どうせ無理だよ」「意識高い(笑)」って鼻で笑う。


そんな「冷めている人がスマートでカッコいい」とされる空気感がありますよね。。​


でも、ふと思うんです。他人の挑戦を冷笑して、安全な場所から石を投げているだけの生き方って、本当にそんなにかっこいいのかなって。


大人になると「現実を見なさい」と言われる場面も増えるし、間違いを正してくれる厳しい意見が必要なときもあります。成長するためのアドバイスなら、いくらだってありがたいです。


​しかし、まだ形になっていない原石や、右も左も分からない状態から必死にもがいている人の姿を、面白半分に笑ったり、その人の歩んできたプロセスそのものを否定したりするのは、違うんじゃないかって思うんです。


​最初から完璧にできる人なんて一人もいない。

知らないからこそ自ら物事を知ろうとし懸命に学び、失敗して、泥臭く進んでいく。​


「失敗したら恥ずかしい」と、いったい誰が決めつけたんだろう?​



私はこう思っています。


​「失敗したり間違えるということは、それだけ勇気を出して何かに挑戦したということ。失敗できるという経験は幸せなことであって、決して恥ではない」 「失敗は、挑戦した人しか得られない幸運」

だと。


​そして、こうも思うんです。 


「挑戦しなければ、悔しさという感情すら経験できない。挑戦しないものには成功はないし、成功のチャンスを掴む資格すらない」と。


安全な場所から見ているだけの冷めた人たちには、この「失敗の価値」も、挑戦する痛みの尊さも、そして本気で悔しがる熱さも、きっと一生わからない。​歴史に名を残すようなパイオニアたちも、みんなそうでした。


例えば、エジソン。電球を発明するまでに何度も失敗を重ねた彼は、こう言いました。​


「失敗ではない。うまくいかない方法を1万通り発見したのだ」


彼の挑戦を、当時のまわりの人たちはどれほど冷笑したでしょう。でも彼は、冷たい視線や「無理だ」という声をすべて、自分の圧倒的な結果で黙らせてみせた。


​冷笑的な空気の中で「やらない理由」を探すのは簡単だし、傷つかないで済むかもしれません。


でも、私はそんな「冷めた大人」の仲間入りは絶対にしたくない。​


人生で最もダサいのは、失敗することなんかじゃない。他人の失敗や努力を見下してバカにすること。​


スマートに斜に構えている人たちより、不格好でも、何度も転んで泥だらけになりながら「夢に向かって熱くなっている自分」のほうが、何倍も誇らしいし愛おしい。


だから、誰かに向けられた冷たい視線や、鼻で笑われた悔しさは、全部ぜんぶ最高のエネルギー(ガソリン)に変えてみせる。


​冷笑の文化になんて屈しません。 


失敗を恐れず、泥臭く進み続けるその先に、いつか圧倒的な結果と輝きを自分の手で掴み取って、あのとき冷めた目で見ていた人たちを驚かせてやるんだと、​今日も私らしく熱く生きます。


おやすみなさい。