私は、病気になるまでゲームをほとんどしたことがありませんでした。

兄と弟がいて、いつもゲームをしていたので、私もするようになってもおかしくないのですが、何故かする気にならなくて…見ているのは好きでしたが。


でも、入院することになってから、↓にお世話になるようになりました。



基本的にゲームはRPGは苦手です(。>д<)
すぐに敵が出てくるのがイライラするんです(笑)FFシリーズとか、映像が綺麗なのは、観ていたいんですがね~


入院したとき、兄夫婦が、レイトン教授のゲームをプレゼントしてくれたので、やってみました。

これに見事にはまってしまい…シリーズは大体終わらせました(^-^)


本と同様、ゲームもミステリー系が好のなので、コナンのゲームなどもやりました。

あとは、脳トレシリーズや、太鼓の達人とか…

ゲームは基本的に中古で買ってます。やり始めると、夢中になって睡眠時間を削ってしまうので、要注意です(^_^;)


今は携帯ゲームも色々ありますからね~いい世の中です。

結構お年を召した方も、ゲーム機を持っていたり、スマホを持っていたりしたので驚きました。


しかし、すぐに新しいゲーム機が出て、それを買わないと、やりたいゲームができないのは困ります(~_~;)高いですからね。まあ、できるゲームをなんとか発掘してやるしかないですね。
2010年、6月に重粒子線治療が終わり、3ヶ月後の2010年、9月に肺への転移が見つかりました。


重粒子線をした病院では、肺への転移は無かったので、こんな短い期間に…というショックで頭が真っ白になりました。そのとき画像に映ってなかっただけで、すでにがん細胞は散らばっていたんでしょうが(。>д<)



病院の教授が言うには「肺への転移は3割の確率であるんだよ~」 「3ヶ月はゆっくりできたからいいじゃない」と…


その軽い口調に怒りを覚えました。確かに3ヶ月は治療は無かったけど、その間に検査もあったし、1日入院して細胞をとるという痛い検査もしました。
この検査に関しては、必要のないときにも行っていたように思います。

その病院では、重粒子線治療を受けた人が珍しかったので、データが欲しかったようです(はっきり教授にそう言われました)こちらにとっては負担でしかなかったんですけど(´д`|||)


とにかく、その教授の言動は、他にも疑問に思うことがありましたが、3ヶ月ゆっくりできた、というのは間違いだということは確かです。

しかも、その前の検診で、仕事に復帰してもいい、という診断書を書いてもらい、喜んでいた私を知っていたはずなのに…



あんなに辛い治療をしてきたのに…がんが分かってから1年後には、また違う場所にがんができていたのでした。


2010年、10月にはまた入院することになりました。
2010年、5月下旬、重粒子線治療を始めました。

週に4回×4週の計16回です。ちょうど1ヶ月でした。

治療自体は痛くも何ともなく、20分ほど重粒子を当てる位置を調整し、数分間当てるだけです。私の場合はうつ伏せでしたが、あお向けだったら辛かったろうなあと思います。

基本的に手術が難しい人が来てるので、顔の辺りの腫瘍とか、私のように腫瘍が神経に近い人、男性なら前立腺がんの人が多かったです。

効き目は人それぞれで、数回当てただけで、あっという間に消える人もいれば、私のように、消えることはないけど、年単位で、じわじわ細胞が死んでいく場合もあります。

できるなら消えてほしかったけれど、抗がん剤に比べれば断然楽だったので、気楽に治療できました。

重症の患者さんもいなかったので、皆さんと仲良くなれたし、暇な時間がそれまでよりも多かったので、近くに買い物も行ったり。ただ、体型が変わることはNGだったので(自分用の型があったので)病院の食事以外はあまり食べられませんでした。


千葉で、遠かったので、家族も友だちもお見舞いに来れなかったのは寂しかったですが(。>д<)まあ、1ヶ月だったので。


しかし、これは先進医療。お金が物凄くかかりました。自分の貯金はもちろん全て出しましたが、親にもすごく負担をかけました。それは今もですが(~_~;)周りの人には、先進医療の保険に入っておくことを勧めてます。保険のまわし者みたい(笑)


あと、副作用として、1年後には杖をついて歩くことになるかもと言われましたが、結果として、痺れはあるものの、普通に歩けてます。調子に左右されますが…

そのときは女性の先生だったので、気にしてくれたのか、子どもが産めない可能性についても説明してくれました。放射線が卵巣に当たってしまうので、妊娠はむずかしくなる、と。

それまでの先生は、私の年齢なら気にしてくれてもいいのに、子どものことについては、何も触れてくれなかったので、そうやって説明してくれただけでも嬉しかったです。


そのときは、早く退院することばかり考えていて、子どものことまで考えられない状態だったので、ショックとかはなかったです。


相手もいませんでしたしね(笑)今は、子どものことは諦めてます。でも、ちょっぴり未練はある、複雑な心理状態です。


2010年、6月下旬、重粒子線治療は終わりました。この時点で当初の予定の治療は終わりました。