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人とわんこのホームセラピス

高橋恵美です。

 

 

一度も会ったことも、

繋がりもないのだけれど

 

ずっとずっとインスタを通じて

がん闘病する姿を応援していた

ドーベルマンが旅立ちました。

 

 

ガンが見つかってからの8ヶ月

この闘病の日々は、

犬とか人とか

そんな種別を超えた

 

壮絶ながらも、

ものすごい愛情と絆を

インスタ越しでも感じることができる姿でした

 

 

ドーベルマンとしての誇りとプライドを

1番に尊重して

 

手を差し伸べるのではなく

見守る強い姿に

胸が熱くなりました。

 

 

そのドーベルマンが、永眠しましたと

インスタで報告があり

後日、安楽死を選びましたと。

 

 

とにかく耐え難い激痛と苦しみから

開放してあげたかった。

 

そして、食べることができなくなり

立つこともできなくなった。

 

痩せ細って、骨と皮だけになって

痛みと闘いながら生きることよりも

 

立派な身体で、

はっきりした意識の中で

みんなとお別れをして

安楽死をお願いしたと

書かれていました。

 

 

安楽死への批判は十分承知しているし

その否定する主張も理解できる。

 

でも、これだけは言える。

 

他人が口を出す問題ではない

 

 

そこには、

飼い主と犬にしかわからない時間があり

 

想いがあり

絆がある。

 

他人にはわからない

 

 

我が家のマロンも

痙攣発作のあとに 

立てなくなり

トイレにも行けなくなり

 

食べられなくなり

水さえも飲めなくなった。

 

当時の主治医は

まだまだ治療すれば

回復の可能性があると言ってくれましたが

 

病院で大切な時間を過ごすくらいなら

たとえ命の期限が短くなっても

家族と一緒に過ごしたい。

 

そう思って

マロンを連れて帰り

留置されていた、点滴用の針を

私が抜きました。

 

それから数日

穏やかに過ごしましたが

夜中の2時に眠るように旅立ちました。

 

 

もしかしたら、

補液をして

痙攣の治療をしていたら

もっと長く生きられたかもしれない。

 

でも、

一緒にいることを選んだ。

 

そこは、家族以外

誰にも

何も言われたくない。

 

家族と同じ

いや、

自分の子供以上に

大切に育て

同じ時間を過ごした子を

簡単に安楽死させる人はいないよね。

 

自分が

その子の人生を終わらせてしまう葛藤と

どれだけ闘って出した答えなのかは

同じ立場の飼い主ならわかるよね。

 

獣医師の中でも

安楽死に反対で

断る先生もいると聞きました。

 

実際に、私の知人が

安楽死をお願いしたところ

「飼い主のくせに我が子を殺すのか」と

怒鳴られたそうです。

 

本当に難しいね。

 

わたしの大切な本

フレンドの遺言状

 

 

自然食の師

本村伸子先生の愛犬フレンドも

 

家族全員に見守られて

人間の医師であるお父さまの手で

安楽死を受け、

 

そして、獣医師の本村先生の見守る中で

フレンドは死後解剖を受けたのです。

 

いろいろすごい…

 

人、動物

それぞれの医師として

命を助ける仕事をする中で

安楽死を選択するということは 

想像を絶する葛藤があったはず。

 

それでも、

フレンドにただの最善を考え

選択した安楽死。

 

誰も

なにも言う資格はないだろう。

 

 

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ペットと暮らしている人にとって

必ず訪れる別れの時

 

命をまっとうして

眠るように

息をひきとる。

 

それが理想でしょう。

 

でも、もし穏やかな最期ではなく

苦痛でしかない時間だとしたら

自分ならどうする?

 

悲しくて

そんなことは考えたくないけれど

 

最期まで責任を持つということは

そこまで考えるということだと思う。

 

 

安楽死を肯定、否定するのではなく

大切な家族を

どう見送るのか?

 

元気な時だからこそ

冷静に考えてみよう。

 

 

これは人間のエゴかもしれないけれど

 

どんな選択をしても

お空のシッポたちは

笑って応えてくれると思う。

 

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ダメだ。

考えただけで泣きそうになる。

 

でも、

考えるよ。

 

みなさんは、

どう思いますか・・・

 

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emily