「かなう夢とかなわぬ夢の違い」というお話です。 夢をかなえる人と、夢がかなわない人の違いとは、一体何なのでしょうか?斎藤一人さんの著書に【かなう夢とかなわぬ夢の違い】というお話があります。
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「こういう夢があります」「ああいったことを実現したい」など、夢を語る人は多いものです。でも、「この人の夢は、絶対にかなわないな」と私が思うものがあります。それは、人様の役に立たない夢。誰からも感謝されない夢です。夢というのは、人から「ありがとう」と言われるとか、神様の役に立つとかいった、自分以外の誰かに役立つものでなくてはならないのです。自分勝手な目標は、夢などとはいいません。他人が視野になくて、「こうなりたい」「ああなりたい」というのは、単なる願望というか、野心です。そんな目標には誰も協力しない。うまくいっても、途中ですっころんで、落ちる。人様のことを考えない夢なんて、うまくいきっこありません。そんな夢、自分はうれしいかもしれないけれど、誰が「ありがとう」と言うの?大きい仕事になればなるほど、「ありがとう」と大勢から言われなかったら成功できません。今、さまざまな法律があるけれど、その法律の間を縫ってお金を儲けようと、いろんな手段を考える人がいます。そういう人は、「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」という言葉を知っているのでしょうか。天の網は粗く見えても、一人も逃さない。それと同じように、自分だけの身勝手な願い事などは通らないのです。
(「普通はつらいよ」斎藤一人 著 / マキノ出版より)

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「他人が夢をかなえるのを手伝いなさい。そうすれば、あなた自身の夢もかなうでしょう」そう言ったのは、アメリカの作家であり講演家のレス・ブラウン氏です。自分だけじゃなく、人が喜ぶ夢が叶いやすい。しかも、喜ぶ人が多ければ多いほどに・・・。そしてもし今、あなたに夢がないのなら、とってもいい方法があるよ。自分の夢をかなえようと必死になるのもいいけれど、もしまだ夢が見つからないのなら、人の夢を応援してみたらいい。

僕の大好きな【祈りの手】というお話があります。
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いまから500年ほど前、ドイツのニュルンベルグの町に「デューラー」と「ハンス」という若者がいました。2人とも子沢山の貧しい家に生まれ、小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。 2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。でも、僕にいい考えがある。2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強できるから、もう1人は働いてそれを助けるのだ」どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。「デューラー、君が先に勉強してほしい。君の方が僕より絵がうまいから、きっと早く勉強が済むと思う」ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。デューラーは「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」とハンスのことを思い、寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで重いハンマーを振り上げ、今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの勉強は終わりません。勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」との手紙を書き、デューラーにお金を送り続けました。数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受けるようになったので、故郷に戻ることにしました。デューラーは「よし今度はハンスの番だ」と急いでニュルンベルクの町へ帰りました。2人は再会を手を取り合って喜びました。ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。そして、泣きました。なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、絵筆がもてない手に変わってしまっていたのでした。「僕のためにこんな手になってしまって」と言ってデューラーはただ頭を垂れるばかりでした。自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、「何か僕に出来ることはないだろうか」「少しでも彼に償いをしたい」という気持ちになり、もう一度、ハンスの家を訪ねました。ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。でも、確かに人がいる気配がします。小さな声も部屋の中から聞こえきます。デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。ハンスは歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っていたのです。「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。自分を責めています。神さま、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていたハンスが、妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーのことを一生懸命祈ってくれていたのです。ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、祈りが終わった後、彼に懇願しました。「お願いだ。君の手を描かせてくれ。君のこの手で僕は生かされたんだ。君のこの手の祈りで僕は生かされているんだ!」こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」が生まれました。
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ドイツの画家、版画家である“アルブレヒト・デューラー”氏の描いた「祈りの手」のエピソードです。夢を叶える人、喜ばれる人になっていきたいですね(^^♪
※魂が震える話より
