今日12月15日の記念日「観光バス記念日」




 1925(大正14)年12月15日に東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始されたことが由来となっています。運行は皇居前から銀座へ行き、上野へと向かうルートになってました。大正時代から観光バスが存在していとはて驚きです。当初は馬車であったり人力車が主流だったため、バスの利点が広まっていませんでしたが、1923年の関東大震災をきっかけにしてバスの利点が見直されることになり、バスが徐々に庶民の足として普及していき、1925年には観光バスが登場することになりました。現在は「ハトバス」が観光バスになっていますが、大正時代から昭和時初期にかけての観光といえば「ユーランバス」が有名で、当時は街中に娯楽が溢れている訳ではなかったので、この「ユーランバス」は庶民の間でとても好評だったそうです。庶民の娯楽として長く楽しまれていた「ユーランバス」でしたが、戦争の影響で、1940(昭和15)年9月18日には運行が終了しました。 



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 【バスの雑学】 

 ※世界で初めて登場したバス 


 現在は通勤通学、観光旅行など様々な用途で庶民の足となっているバスですが、世界に初めて登場したバスはどのようなものだったのでしょうか?世界で一番最初にバスが登場したのは、中世ヨーロッパのフランスのパリだったとされています。当時はエンジンが存在したわけではないので馬車でした。これは1660年代にルイ14世の命令によって作られた8人乗りのバスだったそうで、運行が開始されたころは庶民や老人や病人の足として実際に活躍をしていました。しかし、これが貴族たちの目に入るようになり、このバスを貴族たちが乗り込むようになって独占するようになりました。それで庶民はバスを使わないようになり、世界初のバスは運行が中止されてしまったそうです。時代は進んで1827年には18人乗りの「乗合馬車」が登場し、その馬車は「アントルプリーズ・ジェネラール・デゾムニュビス」と名付けられました。乗り物名の名前自体に「公共の乗り物」という意味がありましたが、この「デゾムニュビス」が省略されて「バス」となったのが語源とされています。 




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 ※バスが定員オーバーにならない理由 


 バスの通勤ラッシュで無理やり人を詰め込んでぎゅうぎゅうになった状態で運行しているのを見かける事がありますが、あれだけ人を乗せて走っていたら定員オーバーなのではないのでしょうか?しかし、路線バスが定員オーバーになることはないそうです。路線バスには「サービス定員」という考え方が適用されているため、通常の運行に支障がない程度なら、座席数やつり革よりも多い人数を乗車させても問題はないそうです。バスのサイズによっても前後しますが、路線バスのサービス定員についてはは70~80人に設定されています。実際に路線バスにどれだけ人を乗せられるか検証したところ、どれだけ詰め込んで乗せても60人を超えることはないそうなので、サービス定員をオーバーすることもあり得ないそうです。









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