「やり手と言われているようでは三流」というお話です。

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リッドキララ


 「あの男はやり手や」、「あれは優秀な大学を出て切れ者や」と言ったりしますね。しかし、「やり手、切れ者」と言われているようでは、三流の経営者なのです。もちろん、まったく切れない鈍(ドン)ではだめですが、じつは、切れ者でもだめなのです。これに対して、「仕事もできる、切れる、頭もええ。そして、うちの社長は会ってみても、えも言われぬええ人柄をしている人や」と、言われる人は、エゴ丸出しではないのです。「あの人はええ人やで」、「ええ人物やで」と言われるような経営者の方は心の状態に美しいものが少しでも出てきている人です。これがもっといきますと、「あの人は人格者やで、おまえ」と言われると、これはもう利己と利他が50対50ぐらいになっているのです。エゴは、悪いのではありません。みんな、自分が善かれかしと思うのはあたりまえのことなのです。問題なのは、エゴの割合が多すぎることです。ツーマッチでは害があるのです。エゴを抑え、反省のある人生を送ることを意識すればよいのです。そして、人格に反映したみなさんの経営に現れてきます。人格が反映したような経営になっていくのですから、エゴを抑えるということをやりましょう。そしてエゴを抑えて利他の心が出てくる。つまり心が高まる。人間がよくなる。人格者といわれるようなレベルになってくる。 



 心と生き方稲盛和夫 述京セラコミュニケーションシステム 編

 PHP研究所


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 仕事ができることも大切だけど、尊敬されるような人物であることはもっと大切です。人は、仕事ができる人の話を聞くのではなく、尊敬している人の話を聞くのです。そういう人物になれるよう、自分自身を磨いていきたいですね。お釈迦様の教えに、「衆生無辺誓願度 (しゅじょう むへん せいがんど)」というものがあります。この意味は、「たくさんの人が幸せになれるように精進します」という誓いです。幕末の幕臣であり、明治時代の政治家で、剣・禅・書の達人としても知られる“山岡 鉄舟”さん。鉄舟さんは、書をかくとき、「衆生無辺誓願度」と唱えてから書いていたそうです。何かをするときに、何かにつけて「衆生無辺誓願度」と唱えながら、また、唱えてから行動していたそうです。いつも、「たくさんの人が幸せになれるように精進します」と誓って行動していたのです。「利他」の精神です。何かをするとき、この気持ちがあるのと無いのとでは、同じことをしているようでも、全く違う結果になると思います。これは是非真似していきたいものです。最後にガンジーの言葉をご紹介して終わります。「万人の福利を願うことが自らの福利につながる。自分や自分の所属する小社会のみの福利を願う人は利己的であって、そうすることは、けっしてその人のためにはならない」


 ※魂が震える話より 




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