2011年3月、福島第一原子力発電所は、絶望的な闇に包まれていた。制御不能に陥った原子炉は、刻一刻と破滅へのカウントダウンを進め、東日本、いや、世界の運命が風前の灯火となっていた。その絶望の最前線で、たった一人、巨大な重圧と戦っていた男がいた。現場の指揮を執る所長、吉田昌郎である。暴走する原子炉を止める最後の、そして唯一の望みは、海水を直接注入し、強制的に冷却すること。しかし、それは数千億円ともいわれる原子炉を二度と使えなくする「死」を意味する、苦渋の決断だった。「海水注入はまだ早い!」しかし、首相官邸や東京電力本社から届く指示は、現場の切迫した現実とはあまりにもかけ離れていた。彼らにとって、目の前で失われようとしている数多の命よりも、高価な資産を守ることの方が重要だというのか。電話の向こうから響く机上の空論に、吉田の怒りは静かに沸点を超えた。「ふざけるな…」彼は、日本という国家の運命をその両肩に背負い、歴史上、最も孤独な決断を下す。官邸の承認を待たず、独断で海水注入の準備を命じたのだ。当然、本社からは「今すぐやめろ!」という怒号が飛んでくる。だが、吉田はもう止まらなかった。彼は、部下たちにこう耳打ちした。「いいか、今から俺が言うことは絶対に聞くな」そして、電話の向こうの上層部へ向かって、わざと聞こえるように絶叫した。「注水を中止しろ!」それは、部下たちを組織の責任から守り、一秒でも長く時間を稼ぎ、そして何よりも日本を救うための、悲壮な覚悟に満ちた「嘘」だった。部下たちは、所長の真意を瞬時に悟り、その命令に「背いて」、黙々と海水を注ぎ続けた。後に、吉田のこの命令無視は明るみに出る。しかし、その後の検証で、彼のこの判断こそが、最悪の事態を回避した唯一の道であったことが証明された。時の総理大臣、菅直人もまた、吉田の解任を不要とし、その決断を「間違いではなかった」と認めた。組織の論理を捨て、国家の命令に背いてでも、一人の人間として、現場の指揮官として、守るべきものを守り抜いた吉田昌郎。

※忘れられた真実 フェイスブックページより