日本の学問を100年進めたと称される天才、南方熊楠(みなかたくまぐす)。その脳内は、常人には到底理解できない知性と狂気が渦巻いていた。若き日に留学したイギリスでは、大英博物館の館長と大喧嘩の末、2階から小便をひっかけるという前代未聞の事件を起こす。しかし、その一方で、世界的な科学雑誌「ネイチャー」に51本もの論文を掲載。この記録は、100年以上経った今でも日本人として破られていない。まさに、知の巨人と奇人は紙一重だった。彼の奇行は枚挙にいとまがない。喧嘩の際には、意のままに嘔吐し、相手がひるんだ隙に殴りかかるという得意技を持っていた。また、ある時、蟻に性器を噛まれて腫れ上がると、原因となった蟻の種類を特定するため、自らの性器に砂糖を塗り、庭で長時間うずくまって蟻が再び現れるのを待ったという。常軌を逸した探究心は、彼の日常そのものだった。そんな熊楠の型破りな生き様は、意外な人物にも認められていた。ある日、研究していた粘菌の標本を昭和天皇に献上することになった熊楠。通常であれば丁重に桐の箱に納めるべきところを、なんとキャラメルの空き箱に入れて差し出した。しかし、昭和天皇は咎めるどころか、「熊楠だから」と笑ってそれを受け取ったという。破天荒な行動の数々は、すべてが異常なまでの探究心の発露だった。その狂気とも言える情熱こそが、日本の学問を飛躍的に進歩させた原動力となったのである。


