私は長年宝飾業界にいました。
銀座4丁目に「ミキモト」があります。
御木本幸吉をご存知ですか?
世界的な真珠業者。
御木本幸吉は日本の十大発明家のひとりに数えられていますが、彼は学校を出ていません。
生まれは安政5(1858)年で、志摩国(三重県)鳥羽大里町のうどん屋の倅としてこの世に生を受けています。
幼いころから家業を手伝い、昼間は仕事をしていますから、学校にも、寺子屋にも行けない。
なので彼は、近所にいた、明治維新で職を失った旧士族(武士)から、夜学で教育を受けています。
そして14歳のときには、一杯8厘のうどんだけでは食べて行けないからと、ひとり篭を担いで行商に歩きました。
そうして苦学しながら、知識を身につけ、商売にいそしんだのです。
そして20歳のときに、志摩の水産物の新たな販売網を探るために、東京、横浜に視察旅行に出ます。
そして真珠と出会いました。
真珠は高値で売れる。
けれど天然真珠はなかなか得難く、しかも乱獲のためにアコヤが絶滅しかけている。
自分さえ良ければと、さらに天然ものの真珠を買いあさり、あとのことはお構いなく、自分さえ儲かれば良いという人がいますが、
御木本幸吉はそうではありません。
アコヤ貝を守り、育て、同時に世界中の女性に喜ばれるようにするためには、どうしたら良いかを考えた。
そこで彼は、東大(旧帝国大学)の箕作佳吉(みつくりかきち)教授をたずね、真珠の養殖について学ぶのです。
そして教授から、「理論的には養殖可能」と助言されたことをうけています。
ただ、理論的に可能であっても、実際にそれをやるのは大変です。
漁場の交渉があるし、どうやったらアコヤが真珠を作ってくれるのかもわからない。
まさに彼は手作業の試行錯誤で、養殖をはじめたのです。
「誰もやったことのない仕事こそやり甲斐がある」というのは、御木本幸吉の有名な言葉ですが、まさに彼は、バカになって養殖に取り組んでいます。
そうして、やっと日の目をみた真珠を、こんどはフランスから「偽物だ、詐欺だ」と中傷される。
当時の日本の貨幣価値と、フランスのそれでは、雲泥の差です。
フランスで裁判をするとなると、それこそ莫大な費用がかかる。
彼は全財産をつぎ込んだだけでなく、金融筋に頭をさげてまわって金策し、この裁判を戦っています。
そして養殖真珠も、真珠だ、という、いまにしてみればあたりまえの真実を訴えたのですが、その巨額の裁判費用を考えると、よくぞ、そこまでやってくれたと、ほんとうに頭が下がります。
御木本幸吉の言葉をご紹介します。
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私は真珠については、世界一のアイデアマンです。
私たちが考え出したアイデアは、全部で三万件ほど。
そのうち特許や実用新案にうかったものは、7000件です。
しかし、その中で役に立ったアイデアは十数件、最後にまとまったのはただの一件です。
※小名木善行ねずさんと学ぶ会より引用
御木本幸吉 ウィキペディア
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%9C%A8%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E5%90%89



