吉野家「伝説の男」、元社長・安部修仁。

彼のキャリアは、牛丼とは全く無縁の「ロックンロール」から始まりました。福岡県の工業高校を卒業後、プロのバンドマンを目指して上京。生活費を稼ぐために始めたのが、1971年、吉野家新橋店でのアルバイトでした。しかし、彼の非凡な才能と仕事への情熱は、厨房の熱気の中に埋もれてはいませんでした。その働きぶりが当時の社長の目に留まり、正社員へと誘われます。そこからの彼の出世は、まさに伝説的でした。入社からわずか4ヶ月、22歳の若さで新宿東口店の店長に大抜擢。33歳で経営陣に加わり、42歳で代表取締役社長に就任。高卒のアルバイトから、22年間にわたり巨大チェーンの経営を指揮する「ミスター牛丼」へと成り上がったのです。デフレ経済の中で打ち出した「280円牛丼」を大ヒットさせ、吉野家を国民食の地位に押し上げた彼ですが、その絶頂期に、会社の存続を揺るGAS未曾有の危機が訪れます。2003年のBSE(狂牛病)問題です。米国産牛肉の輸入が停止され、吉野家は生命線である牛肉を絶たれてしまいます。そして2004年、苦渋の決断の末、牛丼の販売を中止。それは、牛丼の代名詞であった吉野家が、牛丼を売れなくなるという悪夢でした。社内に動揺が走る中、安部氏の覚悟は揺らぎませんでした。「これまで米国産牛肉で稼がせてもらった。社員を1年半遊ばせるくらい大丈夫だ」。そう言って社員の雇用を守り抜き、不屈の精神でこの危機に立ち向かいます。この時、彼の支えとなったのが、有名な「勝つまでやる、だから勝つ」という言葉でした。高卒のアルバイトから社長へ。そして、会社の魂を失うという最大の危機からV字回復を成し遂げた伝説の経営者。
彼の物語は、多くの人々に勇気と希望を与え続けています。


