一人の日本人兵士が、海外の首相を作り上げた。にわかには信じがたい、しかし紛れもない事実を描いた、奇跡の物語があります。

第二次世界大戦の最中、オーストラリアの統治下にあったパプアニューギニア。この地に駐屯していた日本軍の柴田幸雄中尉は、現地の住民たちから温かい歓迎を受け、乏しい食料を分け与えられるなど、純粋な善意に深く心を打たれます。
当時、村には学校がなく、住民のほとんどは読み書きができませんでした。恩返しをしたいと考えた柴田中尉は、即席の「寺子屋」を開き、子供たちに数字の数え方から、簡単な日本語や英語を教え始めます。
しかし、彼が教えたのはそれだけではありませんでした。「いずれ君たちの国は、植民地支配から独立しなければならない」。柴田中尉は、子供たちに未来への志と、自らの国を率いることの大切さを説いたのです。
この教えを胸に刻んだ一人の少年がいました。後のパプアニューギニア初代首相、マイケル・ソマレその人です。
終戦後、大人になったソマレ少年は、柴田先生の言葉を胸に独立運動を先導。そして1975年、見事パプアニューギニアの独立を成し遂げ、初代首相に就任しました。
首相となったソマレ氏は、人生の恩師である柴田の行方を捜し続け、ついに40年の時を経て再会を果たします。その時、彼は涙ながらにこう語りました。
「先生が私を導き、人生で何をすべきかを示してくれた。先生のおかげで、今の私があるのです」
戦火の中で生まれた、国境を超えた師弟の絆。一人の日本人兵士が蒔いた小さな種は、遠い南の地で国を動かす大きな花を咲かせたのです。
※フェイスブックページより


