"2011年3月11日、午後2時46分。日本観測史上最大の地震が、東北地方を襲った。

東京の会議室にいた陸上自衛隊のトップ、幕僚長の火箱芳文は、その揺れがただ事ではないことを瞬時に悟る。テレビに映し出される津波の映像、刻一刻と深刻化する被害状況。しかし、男の胸中では、どの地震よりも激しい激震が起きていた。
彼の脳裏に蘇ったのは、16年前の悪夢。1995年、阪神淡路大震災。あの時、自衛隊は出動できなかった。法律上、知事からの正式な要請がなければ、動くことが許されなかったからだ。その手続きを待つ間に、救えたはずの多くの命が失われた。その無念と後悔が、火箱の心を焼き付けていた。
ルールに従い、再び多くの命が失われるのを待つのか。それとも、辞任を覚悟で、ルールを破るのか。
1秒でも早く、自衛隊を出さねばならない。
「クビになっても構わない。後悔だけはしたくない…」
受話器を握りしめ、彼は自衛隊史上最も重く、そして最も気高い命令を下した。
「全国の自衛隊に告ぐ。即時、出動準備にかかれ」
それは、正式な手続きを一切踏まない、明確な違法行為。一人の指揮官の「独断」だった。
しかし、その決断が全てを変えた。
発災からわずか20分後には、全国の部隊が出動準備を完了。ヘリコプターは被災地へと飛び立ち、隊員たちは瓦礫の中へと分け入っていった。阪神淡路大震災の苦い教訓を胸に刻んだ男の、キャリアのすべてを懸けた英断が、最終的に1万9000人もの命を救う、奇跡の初動へと繋がったのである。
その名は、火箱芳文。クビを覚悟でルールを破り、多くの人命を救った男である。
※忘れられた真実より


