喜劇王チャップリンの命を救い、その莫大な遺産の一部を相続した、一人の日本人運転手の物語。

31歳でチャップリンのお抱え運転手となった高野虎市。誠実な彼を、チャップリンは深く信頼し、「私の全てだ」と語るほど、二人の間には強い絆が生まれていました。
1932年、チャップリンが来日した際、その絆が彼の命を救うことになります。当時、軍の一部関係者は、チャップリンを「退廃文化をもたらす人物」とみなし、暗殺を計画していました。その情報を掴んだ虎市は、チャップリンを東京へ案内する車中で、後をつけてくる怪しい車に気づきます。
機転を利かせた虎市は、予定を変更して皇居へと立ち寄り、チャップリンに深々と一礼させました。これは、チャップリンが親日家であることをアピールし、暗殺者の殺意を削ぐための、とっさの判断でした。そのおかげか、その日、彼らが襲われることはありませんでした。
しかし、運命の日は、翌日に訪れます。その日は、後に「五・一五事件」として歴史に刻まれる、犬養毅首相が暗殺された日。チャップリンも、本来であればその日、首相官邸を訪れる予定だったのです。
ではなぜ、彼はその場にいなかったのか。それは、虎市の様子がおかしいことに気づいたチャップリンが、彼の心配を汲み取り、首相官邸への訪問をキャンセルしたからでした。結果的に、虎市の不安が、チャップリンの命を救ったのです。
無事に帰国したチャップリンは、生涯、虎市への感謝を忘れませんでした。彼は、272億円もの遺産を6人に分けるという遺言を残しましたが、そのうちの一人が、この高野虎市だったのです。
国境も、身分も超えた、二人の男の間に生まれた熱い友情。それは、激動の時代が生んだ、奇跡のような物語でした。
※フェイスブックページ「忘れられた真実」より


