運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。実に不思議なことだと思う。「類は友を呼ぶ」ということわざが含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人の出会いをつくりだしているとしか思えない。 どうしてあんな品の悪い、いやらしい男のもとに、あんな人の良さそうな美しい女が嫁いだのだろうと、首をかしげたくなるような夫婦がいる。しかし、そんなカップルをじっくり観察していると、やがて、ああ、なるほど と気づくときがくる。彼と彼女は、目に見えぬその人間としての基底部に、同じものを有しているのである。それは性癖であったり、仏教的な言葉を使えば、宿命とか宿業であったりする。 それは事業家にもいえる。伸びていく人は、たとえどんなに仲がよくとも、知らず知らずのうちに、落ちていく人と疎遠になり、いつのまにか、自分と同じ伸びていく人とまじわっていく。不思議としか言いようがない。企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。 最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。でなければどうして、「出会い」が、ひとりの人間の転機と成り得よう。 私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を徹底的に分析し、自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。
(『命の器』宮本輝著より一部要約して引用)
🔵宮本輝 ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%BC%9D


