齋藤孝氏の心に響く言葉より…


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■子曰く、 「それを如何(いかん)、これを如何と日(い)わざる者は、吾(わ)れたれを如何ともする末(な)きのみ」 《現代語訳》先生がいわれた。「『これをどうしたらよいか、これをどうしたらよいか』と懸命に考えない者は、私にもどうすることもできない」 自分で何とかしたいと思う人が、学ぼうという姿勢のある人であり、そういう姿勢のある人にはアドバイスもできます。学ぶ気もない人に教えてもしかたないということです。 


■子曰く、 「慣(ふん)せずんば啓(けい)せず。俳(ひ)せずんば発せず。一隅(いちぐう)を挙げて三隅を以(も)って反(かえ)らざれば、則(すなわ)ち復(また)せざる也」 《現代語訳》先生がいわれた。「分かりたいのに分からず身もだえしているようでなければ、指導はしない。いいたくてもうまくいえず、もごもごしているのでなければ、はっきりいえるように指導はしない。一隅を示したら、他の三隅を推測してわかるようでなければ、もう一度教えることはしない」 この言葉は、簡単にいうと、「自ら求めない者に教えてもしょうがない」ということです。 ちなみに、この言葉にある「啓せず」と「発せず」の2文字を併せて「啓発」という熟語になります。よく「啓発本」などといいますが、「啓発」は、孔子のこの言葉から来ているのです。 後半の「一隅を挙げて三隅を以って反らざれば、則ち復(また)せざる也」にある「一隅」というのは、四隅のあるもののひとつの隅です。たとえば、テーブルの角がそうであり、ひとつの隅を見れば他の3つの隅の形を想像することができるはずです。自分で積極的に類推してわかろうとする気持ちがない者は、まだ教わる水準になっていないので、教えないということです。そのように、孔子は学ぶ姿勢に対して厳しいところがあります。


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■《之(これ)を如何(いかん)せん。之を如何せんといわざる者は、之を如何ともするなきのみ》孔子は『論語』の中でこう語っている。どうしたら自分をもっと向上させることができるか、いかにしたら自分をもっと磨くことができるか。真剣に問い、求めようとしない者は、この自分もどうすることもできない。(小さな人生論・4 /致知出版社)より


自ら、真剣に求めようとしないものは、学問においても、事業や仕事においても、決して大成することはない。どれほど、環境が整い、周囲が助けてくれたとしても、本人に「学びたい」「知りたい」「成し遂げたい」という、熱い火の玉のような渇望がなければ何事もうまくはいかない。人のせいにしたり、環境やまわりのせいにする人は多い。しかし、百万遍、まわりのせいにしたとしても、今の現状は一ミリも変わらない。学びも、成長も、自ら強く求める心から始まる。「自ら真剣に求める気持ちが大事」という言葉を胸に刻みたい。


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