土光敏夫氏の心に響く言葉より…

《能力より執念》
物事を成就させ成功させる力は何か、その中にはむろん能力があろう。 だが能力は、必要条件であっても十分な条件ではない。十分な条件とは、その能力に、起動力・粘着力・浸透力などを与える力である。そのような能力を、私は執念とよびたい。仕事に困難や失敗はつきものだ。そのようなとき、困難に敢然と挑戦し、失敗に屈せず再起させるものが、執念である。およそ独創的な仕事といえるものも、執念の産物であることが多い。湯川(秀樹)博士は中間子理論のヒントを寝床の中で得たという。しかしその背後には、寝ても覚めてもその一番に凝り憑かれた長い執念の期間があったことを忘れてはなるまい。
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現代は「執念」や「寝ても覚めても」という言葉がどこか古臭く、カッコ悪いもののように扱われている。「汗水たらす」や「なりふりかまわず」などの姿勢が嫌われ、スマートに、クールに、無理せず、頑張りすぎずというスタイルがもてはやされる。しかし、本当に何かを成し遂げた人たちを見ればわかるが、彼らは皆、「寝てもさめても」そのことを考え続け、何度失敗しても諦めず、泥にまみれながら歩き続けてきた人たちだ。なかなか成功しない人は、「そこまでやらなくてもいい」とか「無理せず、ほどほどに」という「自らに甘い」姿勢がある。しかし、何かの壁を超えたり、自分の限界を突破したり、壁を超えるには、日頃の努力の先にある、「さらに一歩の努力」が必要だ。「百尺竿頭進一歩(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ)」(無門関)今まで得た地位や境遇に安住せず、さらに向上心を持って努力を続けるという禅語だ。「寝ても覚めても」という言葉を胸に刻みたい。
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