『黒いサングラスの運転手』

志賀内泰弘 


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 「え!?まただ」小百合は、車のハンドルを握りながら、その偶然に驚いた。ことの起こりは、一ヶ月ほど前のことだ。大沢小百合、22歳。地元の大学を卒業して、念願の保育園に勤めている。ところが、一つ問題があった。車の免許を持っていなかったのだ。自宅から保育園までは、電車と徒歩だと、二度も乗り換えた上に、グルッと遠回りして2時間近くもかかってしまう。就職が決まると自動車学校に通い始めたが、元来の運動オンチ。3回も仮免に落ちてしまった。周りの友達からは、「どん臭いなあ」と言われ、落ち込んだ。そして、新学期の始まるぎりぎりになって、免許証を手に入れることができたのだった。小百合は、慌てて中古車センターで真っ赤な軽自動車を買い、ローンを組んだ。ところが、ただの若葉マークではない。運動オンチが、どうにかこうにか手に入れた免許証だ。バックの車庫入れはもちろん、信号で右折するたびに心臓が高鳴った。通勤を始めて3日目のことだった。朝の通勤時間帯は、町の中を南北に貫く片側一車線の県道は渋滞しっぱなし。ノロノロとしか動かない。運転席では誰もがイライラして、ヒゲをそったり、新聞を読んだりしている者さえいる。その県道を南下して、途中、右へ曲がってしばらく行くと保育園にたどり着く。その交差点には信号がない。それどころか、路地のような狭い道路で、左右から来る車はほとんどない。小百合が右折しようとしてウィンカーを出すのだが、正面からやって来る車は、誰も停まってくれない。チカッ、チカッ、チカッ。ウィンカーが何度も鳴る。振り返る余裕などないが、どうやら小百合の後ろは大渋滞を引き起こしているようだ。チカッ、チカッ・・・。焦った。なんとか右に曲がろうとするが、誰も譲ってくれない。本当は、少しでもセンターライン寄りに停車すれば後続の車も追い抜いてゆくことができる。しかし、小百合にそんな芸当は無理な注文だった。プァーン。後ろの車が、クラクションを鳴らした。身の縮む思いがした。その次の瞬間のことだった。一台の大型トラックが小百合の車の前で停まった。ピカッピカッ!大きなヘッドライトが二度光った。(助かった)小百合は、夢中でハンドルを切っていた。保育園の駐車場に車を止めて気が付いた。手のひらどころか、全身冷や汗でぐっしょりだった。こんなことがあるのだろうか。二度あることは三度ある。小百合はたった10日間のうちに、三度も同じ(?)と思われる大型トラックに救われた。「え!? まただ」二度目までは気が付かなかったが、今日、それが同じトラック、同じ運転手であることを確信した。相手も、同じ時間帯に仕事で同じ道を通るのだろう。それにしても、なんて優しい・・・。チラッと見ると、黒いサングラスをかけた、マッチョな中年男性がハンドルを握っている。小百合は、この人に直接「ありがとう」を言いたかった。ちょっと大袈裟だけど、命の恩人くらいに感じていた。(なんとか恩返しがしたいなあ)しかし、どこの誰かもわからない。ナンバーも覚えていない。道路を走っていても、歩いていても、似たようなトラックが走っていないかとキョロキョロ探す。そう思いつつも、新人として子供たちの世話に追いまくられる日々を過ごすうちに、2年近くが経ってしまった。そんなある日、小百合が日曜日に近くのスーパーに出掛けた時のことだった。買い物を済ませて、自分の車へと歩き始めると、ブーブー。と駐車場にクラクションが鳴り響いた。見ると、一台の乗用車が立ち往生している。運転席にはかなり歳を取った男性がハンドルを握っている。助手席の奥さんと思われるお婆さんが、窓から顔を覗かせて周りにペコペコと頭を下げている。どうも、狭いスペースに車を止めたのはいいが、出ようとして動けなくなったらしい。小百合は思わず駆け出していた。「運転を変わりましょう」そう言ういなや、お爺さんを降ろして運転席に乗り込んだ。自分が運動オンチであることなど忘れていた。慣れない車のハンドルを何度も、何度も切り返す。夢中だった。知らず知らず、歯を食いしばっていた。「よし!」車は見事に脱出した。「ありがとうございます」老夫婦は何度も何度も、小百合に頭を下げてお礼を言った。しかし、早く立ち退かないと、次々と入ってくる車の邪魔になる。「何かお礼をさせて下さい」とお婆さんが言った。「いえいえ、お互い様です。早く出た方がいいわ」「それでも、何か・・・せめて住所とお名前だけでも」「今度、どこかで困っている人がいたら助けてあげて下さい」そう自分で言ってから、小百合はハッとした。(あっ、これでいいのか)そして、心の中で呟いた。


 「サングラスのおじさん。3回も助けてくれてありがとうね。 ちゃんと次に回しておきましたよ」




 

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