吉野弘さんが書いた「夕焼け」という詩をご紹介いたします。 感じるものがあります♪ 

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 いつものことだが 電車は満員だった。 


 そして いつものことだが 


 若者と娘が腰をおろし 


 としよりが立っていた。 


 うつむいていた娘が立って 


 としよりに席をゆずった。 


 そそくさととしよりが坐った。 


 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 


 娘は坐った。


 別のとしよりが娘の前に 


 横あいから押されてきた。 


 娘はうつむいた。 


 しかし 又立って 席を そのとしよりにゆずった。 


 としよりは次の駅で礼を言って降りた。 


 娘は坐った。 


 二度あることは と言う通り


 別のとしよりが娘の前に 押し出された。 


 可哀想に。 


 娘はうつむいて そして今度は席を立たなかった。 


 次の駅も 次の駅も 下唇をギュッと噛んで 身体をこわばらせて。


 僕は電車を降りた。


 固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。


 やさしい心の持主は 


 いつでもどこでも 


 われにもあらず受難者となる。 


 何故って 


 やさしい心の持主は 


 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。 


 やさしい心に責められながら 


 娘はどこまでゆけるだろう。 


 下唇を噛んで つらい気持ちで 


 美しい夕焼けも見ないで。


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 やさしい人の「心」を見ていてくれる人がいます。 


 唇を噛んでこらえているのを見ている人もいます。 


 やさしさは、どれだけ相手の立場を考えられるか? 


 相手のことを思えるか? 


 人には人の事情や思いがあるものです。 


 この娘も、3人目のご老人が目の前に立ったところから、この娘をみると「席を譲らない娘」に見えますが、 最初から見ていた人には「勇気を出して2回も席を譲った娘」です。 


 だれかを非難している人がいますが、「その出来事の全てを見たうえで言っていますか?」と思ってしまいます。 


 一部の断片的な情報だけをたよりに、人を責めたり傷つけたり・・・ 


その部分だけ注目されたら、確かに「悪人」にも見えますが、それが本当に答えでしょうか?


 僕は、孟子が言う「性善説」を信じたい。 


 性善説とは、人間の本性は基本的に善であるとする教えですが、本来ひとは皆、誰かを思っているし、本当の悪人はいないと信じたい。 


 とはいえ最近は、残虐なニュースが多く、胸が締め付けられる思いですし、しっかりと罪を償って頂きたいのですが、 生まれながらにしての「悪人」はいない筈です。 


 もしかしたら、この詩の娘も、2回譲ったのに、3回目たまたま譲らなかったシーンを、たまたま誰かに咎められたらどうでしょう。 


 次からは、もう席を譲らなくなってしまうかもしれませんし、電車に乗るのが嫌になってしまうかもしれません。


 逆に、この善行を見ていた大人が、2回も偉いね♪って言葉を掛けていたら、また譲りたくなるかもしれません(*^_^*) 


 情報の断片だけで判断せず、しっかりと相手の優しさや相手のしてきたことを見れる大人でありたいと思いました♪ 


 ※魂が震える話より 


 吉野弘 ウィキペディアhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%BC%98




 

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