渡部昇一氏の心に響く言葉より… 


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物事には、引き際というものがある。せっかくいい結果を残してきていても、引き際が見苦しいと、その印象だけが残って、後々の幸運を逃すことになる。そればかりか、それまで残してきた成果も疑われかねない。とはいえ、身を引くという行為は勇気のいることだろう。いつ引くのかというタイミングをはかるのも難しい。そうしているうちに、何やかやと理由をつけてその場に居座ろうとしてしまうのだ。だが、周囲の人はそんなところまで慮(おもんぱか)ってくれない。いつまでも意地汚く頑張っているように取られ、非常に見苦しく思われる。とくに日本は、引き際の美しさに深く感銘を受けるお国柄であるように思う。 引き際の美しさとは、単にその場を去ることではなく、自らの敗北や限界を潔く受け入れる姿勢にも通じている。 負けたりダメだとわかったなら、潔くそれを認める。敗者なら敗者らしく堂々としていればいい。十分に戦ったのなら、自分を卑下することはない。 これが、英語で言うところのグッド・ルーザー (good loser)、つまり、負けても 怒ったりしょげたりせず、潔く引く人になれという思想である。 昔から「勝敗は時の運」というように、勝つときもあれば負けるときもある。だから、負けたからといって、相手を憎むのはナンセンスである。負けたのなら潔く負けを認めて降参すればいいだけのことなのだ。 《敗者になったときこそ重要な「グッド・ルーザー」の思想》 


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リッドキララ

 

伊藤肇氏は「引き際の美しさ」についてこう語る。『「東洋人物学では『出処進退(しゅっしょしんたい)』と『応対辞令』とが、人物を見る二つの柱となっている」と安岡先生から教わった。「出処進退」では、特に「退」が重視される。「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。難しいのは「仕事に対する執着を断ちきる」作業である。己を無にすることである。そして、出処進退の大原則である「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」(越後長岡藩家老、河井継之助)を実践するのである。「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。』(帝王学ノート /PHP文庫)より「去り際」「引き際」にこそ、人としての「品格」や「品性」「潔さ」「勇気」「覚悟」があらわれる。こだわりや執着を捨てること。「引き際の美しさ」という言葉を胸に刻みたい。


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