リッドキララ

                     いつかK先生が何かに書いておりました


「けれど・・・・・・」という奴は結局は何もやらない-と 


ほんとにそうだ ほんとにその通りだ


「けれど・・・・・・」の次にくることばは必ず弁解と言いわけだ 


それは やれなかった理由ではなくて 


やらなかった弁解だ


自分がやらなかったことを 


なんとか、やれなかった ことにするための体裁のいい言いわけだ 


しようと思ったのですけれど・・・・・・ 


やらなければいけないと考えたんですけれど・・・・・・


思うだけ、考えるだけでは具体的な形にならぬ


やれなかったのじゃない


要するに やらなかったのだ 


やらなかったことに


「けれど・・・・・・」なんて余分なものをつけることはない 


あとにもさきにも かけがえのないたった一ツのいのち


明日知れぬ はかないいのち-と、いうことを骨身にしみて感じながら生きている者は


「けれど・・・・・・」なんて おまけはつけない


具体的に やるか、やらぬか- 二ツに一ツの選択だけ余分なおまけを つけているひまがないのだ


 やらなかった時は やらなかった-ただそれだけでいい 


それでおしまいにすればいい


一切おまけはつけぬこと 


そうすれば毎日の生活が どんなにさわやかに なることか


毎日のいのちが どんなにはつらつと なることか


人生のプロは けれど・・・・・・という ことばは使わぬ 


これは誰にいう セリフでもありません 


くちばかりで身体の動かぬ怠け屋のわたし自身への戒めです


 ※出典「しあわせはいつも」(文化出版局)