今日の歴史の一幕
1974年10月14日、巨人の長嶋茂雄が「わが巨人軍は永久に不滅です」と述べて現役を引退しました。引退試合前のミーティングで長嶋はチームメイトに「思い残すことはない。みんなもいつか引退の日が来るが、それまでベストを尽くして悔いのないプレーをしてほしい」と挨拶。その後、この年史上初の2年連続三冠王を決めていた王にそっと「すまんねぇ、今日は引き立て役になってもらうよ」とささやいた。それに対して王は笑って「今日はパッと明るく、アベックホーマーで行きましょう」と答えている。引退試合の第1試合は3番三塁で出場。第2打席に村上義則から現役最後の本塁打を放った。この試合では王も本塁打を放ち、王の言葉どおり最後(106本目)のONアベック本塁打を記録した。第1試合終了時、長嶋は外野フェンスに沿って泣きながらファンに挨拶した。当初は第2試合終了後場内を一周する予定で、全く予定外の行動だった。長嶋はこの時の行動について「今日ほどスタンドの拍手が胸に響いたことはなかった。第1試合が終わったら知らないうちに外野に足が向いていたんだ」と語っている。続く、第2試合は、4番三塁で出場。長嶋はこの試合の第3打席で現役最後の安打をセンター前に放った。最終打席は8回裏1死1、3塁で佐藤政夫から、ショートへの併殺打に終わった。試合は10対0で巨人が勝利。第2試合終了時、長嶋は名残惜しむように一人一人と握手し、最後は王と腰に手を寄せあいながらベンチに引き揚げた。引退セレモニーのスピーチでは「我が巨人軍は永久に不滅です!」という言葉を残した。この言葉は、しばしば「永遠に不滅です」と誤って引用される。なお、当時小学生の長男・長嶋一茂はこの引退試合を一切観ていない。当初長嶋は一茂に始球式担当を持ちかけたが、「恥ずかしい」と拒否し、一茂は試合時間に歯科医にかかっていた。長嶋の引退は読売新聞の1974年十大ニュースの4位になるなど、スポーツに留まらない社会的事件であった。同年11月21日、選手時代につけていた背番号3は読売ジャイアンツの永久欠番と認定された。
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