行徳哲男師の心に響く言葉より…


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《人は過ちを犯すからこそ、見えてくるものがある》


一見真面目、一見律儀、 一見実直な人間たちの持つ偽善性を私は山ほど見てきた。


それは見せかけなんだ。


綺麗な言葉が飛び交って、やたらと人を褒め上げたりする八方美人にすぎない。


その人間たちがまとっている真面目さという仮面を剥いだら、そこに出てくるのは卑怯さ、冷たさ、小賢しさだ。 


それを教えてくれたのがカール・ヤスパースという二十世紀を代表するドイツの歴史哲学者ですよ。


彼が日本に来て京都・広隆寺の弥勒菩薩を見てなんと言ったか。 


「存在する人間の最高の姿を表したものだ」と言ったんだ。


彼は長年にわたって世界の彫刻作品を見て回ったけれど、「弥勒菩薩に優る美しさと気高さを備えた作品は世界のどこにもなかった。この姿こそが人間が達し得る最高の美しさだ」と評した。 


そして、そのあとに続く言葉が素敵なんだ。


「過ちを犯した人じゃなかったら、この美しさと気高さは表現できない」と断言したんだね。


 思わず唸った。ヤスパースらしいなんとも深い言葉だね。


ますます煩悩や過ちを犯して 生きても大丈夫なんだという気になるよ。


いろいろ失敗したり、つまずいたりしたときには、僕はすぐ弥勒菩薩のところに行く。


弥勒菩薩を見たら落ち着くんだ。 


相田みつをさんじゃないけど、つまずいたっていいじゃないか。


失望して、ときには自ら命を絶ちたいほどの気分になっても、それが人間なんだから。 


世界に禅を知らしめた鈴木大拙先生は無心ということを言われたけれど、現代人は頭がいいからなかなか無心になれない。


そして、なんでも整合しようとする。


整合しようとするところから人間の偽善や欺瞞が始まっているんだ。


矛盾は整合するものじゃない。


大拙先生も矛盾を整合するなと言っている。


人間は矛盾だらけを生きてこそ人間なんだ。


矛盾の中にしか真実はないよ。


矛盾を生きることが真実を生きることだ。


それなのに我々現代人は矛盾を整合しようとする。


そこから偽善と欺瞞が始まっている。 


「言っていること」と「やっていること」は全て合致するものではない。


それを整えようとすると、そこに作為が入る。すると人間が人間から乖離してしまう。


乖離しないためにはとにかく矛盾を生きること。


いや、矛盾を生きるだけではダメだな。


矛盾を生き切らなきゃ。


「嘘つき」と言われようが嫌われようが、そんなものは相手に任せればいい。現代人は他人が自分をどう見ているかばかり気にしている。だから、人に見せる自分をつくってしまって、その結果、自分が本当の自分じゃなくなっている。 


「汝の道を行け、しかして、あとは人の語るに任せよ」とダンテは言っているよ。 


人から「嘘つき」と言われて、なんでそんなことにこだわらなきゃいけない? 


囚われなきゃならない? 


どうせろくなことは言ってないでしょう。


そんな人間に気を配る必要なんてない。


なんでこちらがそっちへ寄せて行かなきゃならないんだ。


そんなのは向こうの勝手に任せておけばいい。



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リッドキララ


以前、以前属していたある会で、京セラの稲盛和夫会長と対談したことがあった。


そのとき、お聞きしたことがある。


「塾長は、いつも愛とか、きれいな心とか、善とかおっしゃってます。しかし、片方で、経営者として、非常に厳しい、ある意味冷酷とも思える決断もなさっています。その一見矛盾したことをどうお考えですか」


すると、稲盛塾長は、「うーん」と言って1分くらい黙ってしまった。


「それは、すさまじい質問だ。私も、時々、精神的におかしいのではないかと思うこともある。しかしながら、一見矛盾する相反することを、いとも平然とやってのける人のことを名経営者というのだと思う」


我々は、「謙虚でありたい」と言いながら、「心の奥では認められ、脚光をあびたい」と望む。


「与える人でありたい」と願いながら、「どこか見返りを求める」自分もいる。


「不断の努力が必要だ」と思いながら、「少し怠けたい」と思ったりもする。


「偉そうな人や傲慢な人」を嫌いながら、「時々、威張ったり、横柄」になったりもする。


「矛盾を生き切る」という言葉を胸に刻みたい。


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タカミスキンピール