宇野千代氏の心に響く言葉より…


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この暮れで、私は満七十四歳になった。


年齢を聞くと、だれでも、何というおばあさんかと呆れる。


しかし、本人の私は、自分のことをおばあさんなどと思ったことは一度もない。


私は民謡の踊りを習っているが、自分の踊っている格好を鏡に映してみても、おばあさんが踊っているとは思わない。 


この間、アメリカのシアトルで美容院をやっているという人に会って、この話をしたら、一度アメリカに来て、その踊りをアメリカ人に見せてやらないかと言う。


こんなとき、私は決して、「まァ、そんなことはできませんわ」などとは言わない。 


七十四歳で も、アメリカ人の前で平気で踊れる、と思うのである。


私は何でも、まず、面白いな、と思う。


面白いと思ったものは、すぐに行動に移す。


七十四歳になっていても同じである。


行動に移すと、たちまち、もっと面白くなる。


体に弾みがつくからだ。


ときには人に、やれやれと思うようなことを頼まれることもある。


可厭(いや)だな、と思ったら、やり切れない。


そんなとき、可厭だと思わないコツは、まず、体を動かして、一歩、そのために歩き出す。


その事柄に身を入れる。


突入する。


何のことはない、可厭だと思ったのはまちがいで、実はこんなに愉しいことなのではないか。


そう思うようになる。 


愛する、などと人は言うが、これは違った言葉で言うと、一歩、そのことのために歩き出すことではないのか。


弾みがついて、もっとそれをしたくなることではないのか。


可厭だと思わず、まず面白がることではないのか。


すると、困難だと思ったことが、とても愉しくやれるのではないか。


私はいつでもこの流儀で、ものごとの中に突入する。 


面白くないということはほとんどない。


弾みがつくから面白くなるのである。


人間はコマと同じである。 


「どうしてそんなにお若いのですか」とよく人が私に訊くが、私は朝晩のいろいろなことを、面白がってやることだと答える。


何のことはない。


たったそれだけのことである。



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リッドキララ

 

「過去の自慢話しかしない大人が多いじゃないですか。 今、何をやるか。 これから何をやれるか。 何に面白がれるか。 それしかすてきじゃないでしょ」

(女優・桃井かおり) 


「昔はどうだった」とか「あの時は楽しかったね」、と昔のことばかり話をする人がいる。 


昔をなつかしみ、過去を振り返る、現状を楽しんでいない人だ。


現状に不満を持ち、過去に逃げようとする。


今を楽しんでいる人は、あらゆることに好奇心があり、面白がることができる人だ。


好奇心があって、面白がる人には行動力がある。


面白そうな人にすぐに会いに行ったり、面白い店にもすぐに出かける。


そうやって面白がる人には情報が集まる。


反対に、面白がらない人には情報は集まらない。


「あそこに素敵なお店ができたよ」と教えても、つまらなそうな反応しか返ってこないからだ。


世の中に、「面白いこと」や「楽しいこと」が転がっているわけではない。


それを「面白がれる人」「楽しめる人」がいるだけだ。


「まず面白がること」という言葉を胸に刻みたい。


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