「ひぐらしの声」
ああ 今年もひぐらしが鳴き出した
ひぐらしの声は
若くして戦争で死んだ
ふたりのあんちゃんの声だ
そして
二人のあんちゃんの名を
死ぬまで呼びつづけていた
悲しい母の声だ
そしてまた
二人のあんちゃんのことには
ひとこともふれず
だまって死んでいった
さびしい父の声だ
ああ今年も ひぐらしが鳴き出した
みつを

■相田一人によるみつをの書の解説です。
父・相田みつをはよく「いのちの詩人」と言われますが、その原点は二人の兄の戦死です。
「戦争」という作品があります。
「どんなに理屈をつけても戦争はいやだな 肉親二人わたしは戦争で失っているから」というもので、 父の作品には珍しくストレートに感情を露わにしています。
父は6人兄弟の3番目で、長兄次兄は相次いで戦死しました。
著書「いちずに一本道いちずに一ツ事」で「兄の戦死」という章をもうけています。
昭和16年8月31日、次兄の戦死の報せが届きました。
あんなに頼りにしていた次兄はもうこの世にいない、それは大きな衝撃でした。
あの時から父は生、死、命とは何か、自分はどう生きればいいのか真剣に考えるようになったそうです。
みつをの母は、名誉の戦死だからと昼間は気丈に振る舞いましたが、夜、家族だけになると祭壇の写真に向かって泣き叫びました。
戦争がいかに残された家族に影響を及ぼすか、父は体験しているからよくわかるのです。
後日届いた戦友からの手紙によると、朦朧とする意識の中で次兄が残した最期の言葉は 「戦争というものは人間がつくる最大の罪悪だな」でした。
この言葉がいのちの詩人を誕生させたのです。
作品「ひぐらし」は、子どもの死に悲しむ両親のことを詠ったものです。
みつをの父は嘆き悲しむ母とは対照的に、息子たちの死について何も語らずに死んでいきました。
この詩はわが子に先立たれた男親の父の思いをみつをが代わりに綴ったものです。
いのちをテーマにしたたくさんの作品を残し、父は67歳で亡くなりました。
「自分の番~いのちのバトン」はその集大成です。
