ひろさちや氏の心に響く言葉より…


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二十世紀、ドイツの実存主義哲学者のカール・ヤスパースは、「負い目」ということを強調した。 


わたしたち人間は、誰もが他人に対して大きな「負い目」があるというのである。 


それは、こういうことだ。


たとえば、大学生であるが、彼が大学生になれたのは、入学試験にパスしたからである。


しかし彼の合格は、試験に落ちた大勢の人間の無念さの上に成り立っているのだ。


したがって、この大学生は、それらの人々に対して「負い目」があるのである。 


それは、公務員でも会社員でも同じである。


あるいは、結婚した男(女)は、自分妻(夫)と結婚したかった他の男性(女性)に対して「負い目」があるのである。 


現実にそういう他人がいる、いないの問題ではない。


われわれはそのように考えて、他人への「負い目」を自覚せよと、ヤスパースは主張したのである。 


そして、「負い目」を自覚すれば、われわれはそれを償うべき責任を感じることができる。


その責任の償いは、たとえば大学生であれば、試験に落ちた人たちの分までしっかりと勉強することによって果たせるのである。


結婚した者は、自分の妻(夫) を他人の分まで愛することによって、「負い目」を償えるのである。 


わたしは、このヤスパースの考え方が好きである。 


わたしたちは、自分が勉強しようとしまいと、妻(夫)を愛そうと愛すまいと、自分の勝手だと考える。


そうではないのだ。


わたしたちはみんな、他人に「負い目」があり、責任のあることを忘れては ならない。



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もし、自分が「経営者」や「どこかの組織のリーダー」だったとする。


そんなときは、自分が努力して頑張ってきたから、「経営者」や「リーダー」になったのだ、と思いがちだ。


しかし、舞台でいうなら、我々はたまたま、その役をもらっているというだけのこと。


様々なご縁や、みえない運や偶然の力が重なり、人生という舞台でその役割を与えられた。


そのちょっとした偶然が一つでもなくなったら違った人生となっているからだ。


これは、「経営者」や「リーダー」でなくても同じこと。


舞台には主役を支える、通行人や、村人、などとともに、裏方の、音響係、照明係、もいる。


見えないところで人知れず、支えてくれる人たちがいて、自分の人生という舞台を演じることができる。


つまり、自ら努力して「生きてきた」のではなく、大勢の人たちのおかげで「生かされてきた」ということ。


それが「おかげさま」の心。


「負い目」を感じて生きるとは、まさにこの「おかげさま」の心で生きること。


こんなに幸せに生きることができて、「申し訳ない」「ありがたい」という心からの気持ちだ。


「あなたがむなしく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」(カシコギ)


『「負い目」を感じて生きる』という言葉を胸に刻みたい。


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