大東亜戦争の名言・格言よりシェア~前置き~


リッドキララ

 

1951年のサンフランシスコ講和会議において並み居る戦勝国は、日本に対して対日賠償&制裁措置を叫びました。


ソ連などは、「日本に平和や自由を与えることは許されない」、

「国を分割して統治すべき」と、米ソ英中の四ヶ国だけで分割統治を提唱しました。 


その分割案に真向から反対した国が出席国の中で最も弱小の島、英連邦内自治領セイロン(現スリランカ)代表でした。


同じアジアの仏教国という立場から、参加国に寛容の精神を求め、日本に対するいかなる制裁にも反対し、日本の完全独立を認めて国際社会の一員として迎えるべきだと説きました。 


その時の演説を抜粋します。


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何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。 


それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。 


私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます。 


セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国に供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。我国はそうしようとは思いません。


何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。 


大師(ブッダ)のメッセージ、「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる 


人は憎しみによっては憎しみを越えられない 


実にこの世においては怨みに報いるに


怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。 


怨みをすててこそ恩む、


これは永遠の真理である。」


アジアの数え切れないほどの人々の生涯を高尚にしました。


 仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム(タイ)、インドネシアそれからセイロン(スリランカ)に伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。 


 これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。 


この共通文化は未だに在続しています。 


それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。


又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々(街の中にいる普通の人)からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。


我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。 


そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。 

ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ (スリランカ、元大統領)




 ※ウィキペディアhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A4%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%8A 


 1951年9月6日、サンフランシスコ対日平和条約の締結と調印のための会議に於ける演説、スリランカ大使館(東京)資料より---------------- 


※このスピーチが、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち、ソ連による反対を押しきり、日本の国際復帰への道につながったといわれています。


本条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。 


スリランカでは有名な話のようです。




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