ある男性には、4つ年下の妹がいました。
妹は2歳のときに白血病にかかってしまい、それ以来、ずっと入院生活を続けていました。
妹が病気になってしまってから、両親は妹の看護をするのに必死でした。
休みの日にはいつもお見舞いに行っていたので、彼には家族旅行の思い出がありません。
友達から、「この前、家族でディズニーランドに行って楽しかった」
「お父さんにプールで泳ぎを教わったよ」という話を聞くと、幼かった彼は、「僕はお父さんにも、お母さんにもどこへも連れて行ってもらっていない」とさびしい思いをしていました。
「妹が病気のせいでどこにもいけない」と、幼い頃は妹を憎んでいたこともありました。
しかし、大学生になり、自分の自由な時間が増えると、病院にずっといなければいけない妹がかわいそうに思えてきました。
時間が空いている限り、お見舞いに行き、必死に病気と戦っている妹を応援してあげました。
ある日。
1時間くらい、テレビの話題、病院や大学であった出来事を話し合った後、「もうすぐ、クリスマスだね。クリスマスの日、また来るから」と言って帰ろうとすると、「おにいちゃん、クリスマスプレゼントに携帯電話が欲しい」とお願いされました。
クリスマスの日、病気の負担にならないようにできるだけ操作の簡単な携帯電話を探してから、お見舞いに行くと、「これ、頼まれていたやつ」とプレゼントを渡しました。
そして、とても喜んでいる妹にメールや電話のやり方を教えてあげました。
その日の晩、妹から彼に「おにいちゃん、ごめんね。私、小さな頃から、おにいちゃんに迷惑ばかりかけているよね。せっかくのクリスマスなのに・・・。ごめんね。おにいちゃん、ありがとう」というメールが届きました。
これが妹からの最初で最後のメールでした。
その日の晩、容態が急変して妹は亡くなりました。
看護師さんから妹が亡くなったとき、携帯電話をしっかりと握りしめていて離すのが大変だったと教えてもらった彼は、「妹が最後の挨拶をしてくれたんだ」と思いました。
【人の心に灯をともす】より
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「あなたがなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日」(カシコギ)
普段、丈夫な人が急に病気になったり、肉親が倒れたりすると、今までがいかに幸せだったのか、そこで初めて気づく。
なんとなく、ぼんやりと生きることができる人は、本当は、このうえない幸せな人だ。
今、呼吸することのできる幸せ。
今、食べることができる幸せ。
今、生きていることの幸せ。当たり前の幸せに気づける人でありたい。
※中山和義著
「人生の目的に気づく24の物語」
フォレスト出版
2011年12月14日発行より
