山川亜希子氏の心に響く言葉より…


※山川亜希子さんと相田みつを美術館

私は自分に寛大ではありませんでした。


ここまでやる、と自分で決めると、それができるまで、自分を駆(か)りたてていました。


そして、それと同じ水準を、部下にも、その他の人にも押しつけていたのだと思います。 


自分で決めた水準までいかないと、私は自分を責めました。 


許しませんでした。


そんな悩みがあったとき、友人のディビッドが私に質問しました。 


「君はいったい、誰にいちばんよく思われたいの?」 


私は返事ができませんでした。 


一生懸命、いったい誰にいちばんよく思われたいのか、好かれたいのか、考えました。 


母かしら、父かしら、姉かしら、友達かしら、仕事の仲間かしら。


それとも、夫からかな。


いくら考えても、よくわかりません。


その間、ディビッドはニコニコしながら私を見つめています。 


私はますます、混乱してきました。 


「わからない。誰かしら?」すると、ディビッドがおもむろに話はじめました。 


「それは君自身なのだよ。 君が自分をよく思っているかどうか、それがいちばん大切なのだよ。いったい、君は自分のことをどう思っているの? 自分のことは好き? 素敵だと思っている?もし、自分のことを大好きで、自分のことを素晴らしいと思っていたら、この世の中に何も問題はないのだよ」 


私はびっくりしました。 


天がおちてくるかと思うほどの驚きでした。 


自分のことを好きかどうかって? 


自分をどう思っているかなんて、私は考えたこともないのに。 


私は世間一般から見たら、すごく恵まれています。 


両親に愛されて育ったし、お金には苦労していないし、大学まで出ているし、夫は真面目なお役人だし、仕事だって、自分がやりたいと思うとすぐに見つかるし、めったにできない経験だってしているし。


マイナスといえば、客観的には赤ちゃんができなかったことくらいでしょうか。 


私はパーティなどで人とお話をするのが苦手でした。 


私は魅力がない、人と面白いお話ができないと、ずっと悩んでいました。


いまでも思い出すのですが、大学時代に外国人もいるパーティに行ったときのことです。


友だちは外国人の男性からいろいろ話かけられているのに、私はずっと壁の花、一人さびしくみんなを眺めているだけでした。


その体験はだめな私をもっともっと強化してしまいました。


それから、「私は人とろくにお話しもできない。誰も私に話しかけてくれない」という傷が、ことあるごとに顔を出すようになりました。 


私は自分を許せませんでした。 


私にそっぽを向いた人を恨みました。


もう人には会いたくない、と思いました。


もう、生きていけない、とさえ思いました。 


苦しむだけ苦しむと、爆発するように私のなかにたまっていた悲しみや苦しみや悔しさ、そんなもろもろの感情や思いが噴出しました。


それが終わると、私はすっきりしていました。


自分のなかにあった恐れにも気がつきました。


そして、そんな自分を許すことができました。


 「人と話せなくてもいいじゃない。一人でいてもいいじゃない」と思えました。 


私はだめな自分を許したのです。 


認めたのです。


それもまたいいよね、と自分で受けいれることができたのでした。


そうすると、パーティも苦痛ではなくなりました。 


自分が話したい人と話せばいい、と思えるようになりました。 


誰も話しかけてこないときや、話したいと思う人がいなかったり、または話してみたいと思う人が誰か他の人と話しているときなどは、そこにいる人たちを見ながら、一人で楽しめるようになりました。


さらに、いろいろな人から話しかけられるようになったのです! 


私の心もからだもリラックスして、きっと楽しいオーラを発しはじめたからでしょう。


だめな自分を隠そう、なんとか努力して違うように見せようと思っていたときは、私の心も体もきゅっと縮まって、みんなを寄せつけない防御(ぼうぎょ)のオーラを発していたのだと思います。


だめな自分をそのまま認めてあげることができたとき、私の人生は大きく変わっていきました。


そして、一回、だめな自分を許し、認めてあげるという体験をしてからは、それ以外のだめな自分を見ることも、それまでよりは楽にできるようになりました。


そして、だめな自分に気づくたびに、それを受けいれ、許すことも上手になっていきました。



 『宇宙で唯一の 自分を大切にする方法』大和書房 



人を許すことはとても大事なことだ。 


誰かを一生絶対に許せない、としたらその苦しみと悲しみは墓場まで持っていかなければならない。


だがしかし、もっと重要なことは、自分自身を許すこと。 


 完璧であらねばならぬ、人によく思われなければならぬ、などという「ねばならぬ」が多くなったとき、人は苦しくて窮屈でたまらなくなる。 


自分を許せない人は、人も許すことができない。 


自分に厳しい人は、人にもその厳しさを要求する。


そして、自分を好きでない人は、心の底から人を好きになることはできない。 


「誰にいちばんよく思われたいのか」 人によく思われたい、と誰しも思う。


だからこそ、欠点を隠し、少しでも自分を大きくみせようとする。


いい部分だけでなく、だらしない自分、ダメな自分、いい加減な自分、をも受けいれることができれば、人生はもっと楽になる。 


今の自分を嫌いな人は、「あの頃はよかった」、「あの時あんな決断をしていなければ」と過去を懐かしむ。 


今の自分を好きな人は、過去ではなく、このただ今、この瞬間を楽しんで生きることができる。 


自分をもっと大切にしたい。


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