小林正観さんの心に響く言葉より…


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《自分の「体」と「魂」はまったくの別物》 


自分の魂は、借り物である“貸衣装”を着て生きています。 


その“貸衣装”に対して、いつも感謝の念を持っていると、この“貸衣装”は どんどん修復されて元気になります。 


ところが、どうして一重まぶたなんだとか、どうして二重アゴなんだとか、三段腹に、四十肩、ゴージャスなウエストまわり・・・そういうことについて、不平 不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言っていると、あなたがそんなにこの体が気に入らないんだったら、この体を早く消滅させる方向に行きましょうということになってしまうわけです。 


うれしくて、楽しくて、幸せで、生きていることがとっても楽しくて、この体で充分元気に過ごすことができて、食べることができて、話すことができて、目で見ることができて、耳で聞くことができて、周りの人と笑顔を交わすことができて、うれしい。


「そういう体でありがとう」と言うと、体は元気になります。


もっとこの人のために働こうかなという気になります。 


自分の「魂」と「肉体」は、まったくの別物だという認識をしてください。


「わたしの体なんだからどのように使ってもいい」のではなくて、いつも体に対しても感謝をしたほうがいいのです。


そうすると、壊れにくくなるから。



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リッドキララ

 

筑波大名誉教授、村上和雄氏は、自分の体についてこう語っている。


『自分の体は自分のものだと思っているかもしれませんが、実は私たちの体はすべて借りもの、要するに“レンタル”なのです。

レンタルですので、期限が来れば返さねばなりません。

これが「死ぬ」ということです。』

「神(サムシング・グレート)と見えない世界/祥伝社新書」より


我々の体は神様からの「借り物」だと思ったら、体を粗末にはできない。


借りているものだから、できるだけメンテナンスをよくして、たとえ古くなったとしても、お返しするときは、「清潔で、よく手入れが行き届いて、よくぞここまで、丁寧に使ってくれたね」といわれたい。


孝道について書かれた中国の「孝経」の中にこんな言葉がある。


『身体(しんたい)髪膚(はっぷ)、之を父母に受く。敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり』

(私たちのこの体は髪の毛、皮膚に至るまで父母からいただいたものである。傷つけないように、大切に生きることが親孝行の始めである)


この自分の体は父母から贈られたもの。


だが、本当は神様からお借りしたものだとしたらどうだろう。


髪の毛から、皮膚に至るまで、傷つけるのはあまりに恐れ多い。


だからこそ、昨今のファッションやアートとしてのタトゥーも、よくよく考える必要がある。


自分の体は「貸衣装」という言葉を胸に刻みたい。


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