「残心」
志賀内泰弘

電話で話をしながら、ペコペコとお辞儀をしている人がいます。
それこそ腰を70度くらいにまで折って。
そのオーバーアクションに、笑ってしまうことがあります。
だって、電話の向こうの人には見えないわけですから。
だれでも、 「ありがとうございます」 とか 「申し訳ありません」 と言う時には、ついつい頭を下げているものです。
わたくしごとで恐縮ですが、結婚した当時、妻からよく叱られました。
会社から、 「今日は残業で遅くなるから」 と電話をする時です。
帰りが遅くなるのを叱られたのではありません。
私が、電話を切る時に、ガチャン! と乱暴に受話器を置くので耳が痛いし不愉快だというのです。
言い訳になりますが、当時はバブルの絶頂期。
私は、猛烈に働いていました。
夕方になると疲れもピークに達しているのですが、それでもテンションが上がっていて、ついつい電話の対応も横着になっていたのです。
以来、受話器をそっと置くように心掛けたものでした。

そんなことを思い出したのは、エッセイストの落合恵子さんが、新聞にこんなことを書いていたのを読んだからです。
「鬼平犯科帳」「剣客商売」などの代表作で知られる作家の池波正太郎さんは、小学生の頃に電話の切り方について先生からこう教えられたのだといいます。
話が終わっても、ちょっと間をおいて切りなさい。
おじぎをするくらい間をおいてから。
その無言の間が心を通わせることがあるというのです。
落合さんは、それを受けて、ドアの閉める音や電話の切り方は、古いとか新しいとかいった範疇のことではなく、気をつけたいことだといいます。
たしかに、たしかに。 思わずうなづいてしまいました。
電話は、相手の姿が見えません。
でも、不思議なことに、話をしている時には、目の前に相手がいるかのように相手の顔を思い浮かべて話しています。
そのくせ、椅子にふんぞり返ったり、鼻くそをほじくったりして話をしていることがあります。
(私だけかな、ごめんなさい)
つい先日、誉田哲也著「武士道シックスティーン」文芸春秋という本を読み終えました。
剣道に明け暮れる二人の女子高校生の青春ストーリーです。
この中に、「残心」という言葉が度々出てきます。
剣道を学んだ方であればご存じのことでしょう。
メンやドウを打ち込んだ後、油断せずに間合いをとって ただちに中段の構えをすることです。
どんなに技だけが決まっても、この残心の動作を取らないと審判は一本の旗を上げません。
電話と剣道を一緒にするのは少々乱暴な話かもしれません。
しかし、ここに妙に共通するものを感じざるをえません。
電話の用件は済んだ。
だからすぐに切るのでなく、一呼吸おくこと。
それを具体的に示しているのが、 「相手が先に切るまで待つ」 というマナーなのでしょう。
いまでは、電話といえばケータイのことを指すようになり、 乱暴に切っても、 ガチャン! と相手に音が聞こえることはありません。
でも、相手が見えないことに違いはありません。
剣道だけでなく、合気道、空手、弓道でも残心は大切にされています。
また、茶道の世界でも、茶器を置く時には恋人と別れるときのように余韻をもって離すようにと教えています。
これって、まさしく、電話の受話器のことのようですね。
残心。
言い換えれば、 「人間、後の態度が肝心だよ」 ということでしょうか。
それには、 相手の気持ちを思いやる心の余裕が必要のようです。

※私も長年営業をやってて、クレームのときに電話に向かってお辞儀してたことやたばこを吹かしながら対応してたことがありました。Facebookで、お逢いしたことない人でも言葉使いや対応で、なんとなく先様の人物像が見えたりしますね!(^_-)-☆



