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昔の武士はよく泣いたという。 


また、幕末の志士たちもよく泣いたようである。 


吉田松陰なども泣癖があったとされている。 


松陰は、仲間と酒を飲み、酔って古今の人物を語るのを好んだが、話題が忠臣蔵義士のことにいたると、感激のあまりよく泣いたという。 


坂本龍馬もよく泣いた。 


かの薩長連合がまさに成立せんとしたとき、薩摩藩の西郷隆盛を前にした桂小五郎が、長州藩の面子にこだわりを見せた。


その際、龍馬は、「まだその藩なるものの迷妄が覚めぬか。薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」と、すさまじい声で呼び捨てにし、「われわれ土州人は血風惨雨…」とまで言って、絶句したという。


死んだ土佐の同士たちのことを思って、涙が声を吹き消したのだ。 


そして、次の有名な言葉はおそらく泣きじゃくりながら言い放たれた。 


「薩長の連合に身を挺しておるとは、たかが薩摩藩や長州藩のためではないぞ。 

君にせよ西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人・薩摩人なのか」 


この時期の西郷と桂の本質を背骨まで突き刺した龍馬の名文句であり、事実上この時に薩長連合は成ったと言えるが、西郷や桂を圧倒した龍馬の涙の力も大きかった。 


司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読むと、西郷隆盛もよく泣いたことがわかる。 


彼ら維新の志士たちは司馬の言葉を借りれば、「感情量が大きかった」のだろう。 


人間は近代に入ると泣かなくなった。 


中世では人はよく泣いた。 


中世よりもはるかに下って松陰や龍馬や西郷の時代ですら、人間の感情量は現代よりもはるかに豊かで、激すれば死をも恐れぬかわり、他人の秘話を聞いたり、国家の窮状を憂えたりするときは、感情を抑止することができなかったようである。 


 出典元:(孔子とドラッカー―ハートフル・マネジメント 一条 真也



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