9月12日は「マラソンの日」です。 


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 マラソンは、ギリシャの地名である「マラトン」の英語読み。 


 □「マラソンの日」が9月12日の由来は? 


 マラソンの日は、ペルシア戦争の中で行われた「マラトンの戦い」が由来となっています。 


 紀元前450年9月12日、ギリシア・アテナイ(アテネ)の名将ミルティアデスは、マラトンに上陸したペルシアの大軍を奇策によって撃退し、勝利しました。 


 そのことをアテナイの元老に伝えるために、フィディピディスという兵士が伝令に選ばれました。 


 フィディピディスは、マラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて絶命したと言われています。 


 これは、ペルシア戦争を描いたヘロドトスの『歴史』に描かれています。 


 1896(明治30)年に、アテネで第1回近代オリンピックが開催されるにあたり、この故事をしのんで、マラトンからアテネ競技場までの競走が加えられ、初めてのマラソンが行われました。 


 この物語は史実がどうかはわかりませんが、「マラソン」の語源となり、9月12日が「マラソンの日」の由来となったわけです。


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 □マラソンが「42.195㎞」になった理由は?


 なぜマラソンは、42.195㎞(26マイル385ヤード)という中途半端な距離なのか? 


 マラトンの戦いで、伝令が力尽きた距離では?と思ったのですが、そうではありませんでした。 


 第1回のアテネオリンピックのマラソンでは、開催国ギリシャのスピリドン・ルイスが優勝しました。


その時のマラソンの距離は36.909km。 


 そこから第7回のオリンピックまでは「約40㎞」とアバウトで、統一されていませんでした。


 42.195㎞となったのは、第8回のパリで開催されたオリンピック(1924年)以降です。 


 この距離は、第4回ロンドンオリンピック(1908年)での走行距離を採用したものです。


 第4回ロンドンオリンピックでは、当初、英王室が週末を過ごす、郊外のウィンザー城から中心部の競技場までの26ヤード(41.843㎞)で競技することになっていました。 


 それが変更されたのは「王妃の一声」が理由と言われています。 


 当時のアレクサンドラ王妃が、「スタートはウィンザー城の庭で、ゴールは競技場のロイヤルボックス席で」と注文したことによって、42.195㎞に延長されたというのです。 


 しかし、この証拠は見つかっていないと主張する人がいて、本当かは、定かではありません。


 このオリンピックではもう一つ、あるエピソードが残っています。 


 マラソンで先頭を走っていたイタリアの選手ドランド・ピエトリが、ゴールを勘違いし倒れこみ、暑さと疲労でフラフラになりながら、係員に助けられてゴールしました。 


 そんな状態でも1位だったのですが、のちにアメリカチームの抗議を受け、失格になってしまいました。 


 これが「ドランドの悲劇」と呼ばれている有名なエピソードです。 


 ドランド・ピエトリは、メダルを逃してしまいましたが、その姿は感動を呼び、アレクサンドラ王妃から銀のカップが授与されることになりました。 


 授与式を提案したのは、『シャーロック・ホームズ』の作者として知られるアーサー・コナン・ドイルです。 


 彼は、大会の医師として協力しており、ゴール地点で応援していたといわれています。





 

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