人間にとっての善悪がわかってくると、ここにひとつ、絶対悪と言えるものが見えてくる。
それが貪る(むさぼる)ことである。
実は貪ることさえなければ、悪だと思っている行為もたいした悪ではない。
貪りの簡単な定義は「自己の存在が他者の存在を一方的に害している状態」と表すことができる。
自然を含む他者を、自己存在のために利用するだけ利用し尽くして、何も返さないことを言う。
これには、金銭、肉体などの物質面は言うに及ばず、精神面や他人の人生の時間まですべて含まれる。
自分の都合だけによって、他者の生命財産を害する者、物を与えられ続け、他からもらうことしか知らぬ者、などがある。
これには、精神的に他に頼る一方で、自分は他者の心の支えになる気がない者、他者の限られた時間を自分のためにのみ無限に使用させ、自分は他者のためには時間を割かぬ者なども含まれる。
これらを貪る者と呼ぶ。
つまり、自己中心と自己都合だけの人間をそう呼ぶのだ。
他から与えられることしか知らず、他に与えることを知らぬ者と言える。
これが人間にとって最大の悪である。
(中略)
人生とは、貪ることさえなければ、他人からいくら手助けをしてもらってもよいのだ。
どんなに人に助けてもらっても、どんなに人に迷惑をかけても、いかに人を泣かせても、いかに人の物をもらっても、この貪る心と行いさえなければ、それで良い。
人間は誰でも、他人に助けてもらって今日がある。
人から与えられた愛情や友情がわからなければ、その者は貪る人間となる。
要するに、それがわかるのか、わからないのかに尽きる。
わかれば貪ることはしない。
そして、必ず恩を知る。
恩の始まりとしての、親孝行が一番大切なのも、貪ることのない人間になるために他ならない。
我々は人の情を与えられて今日があり、人に物を与えられて今がある。
それがわかり、自分も他者に自己の持つあらゆるものを与える心がけがあれば、貪る状態から脱出できる。
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「生くる」
執行草舟 著
講談社より
http://dokusume.com/modules/store/

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自分のために時間をつかってもらったのなら、同じくらいの時間をその人のために使う。
何か物をもらったら、必ずお返しをする。
物でも労力でも時間でも精神面でも、自分に出来ることをお返しする。
こういうことを少しずつ、少しずつ続けていく。
日本では、結婚式の引き出物も、出産祝いも香典も、必ずお返しする風習がある。
たとえ自分が主役でお祝いされる側だとしても、お返しを考えるのです。
自立するというのは、与えるものと与えられるものが等しくなることと言えるのでしょう。
さらに人物と呼ばれる人たちは、与えるものの方が多くなるそうです。
ひとかどの人物になる心がけ、実践です♪
※魂が震える話より
執行草舟 ウィキペディア
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E8%8D%89%E8%88%9F
