「だろう」相田みつを

昨日も無事に過ぎた
今日も平穏に終わった
だから
あしたも平穏無事だろう-と、
<だろう>を当てにして
なんとなく生きているのが
わたし達、凡人の
毎日ではなかろうか?
明日の
いのち
を保証された者は
この世に一人もいないのだ
明日どころか、しゅんかん先の
いのちの保証がないのだ
それが人間
そこがこの自分なのだ
ついこの間
海外旅行のおみやげを
持ってきてくれた知人が
今日は亡くなったという
通知を受けて
わたしはガクゼンとした
明朗快濶、健康そのものの人であった
それなのに
いつも当てにならない
<だろう>を
当てに生きているわたし
この自分
自分のいのちは
いつでもどこでも
いまここにしかない
いまここが充実しないかぎり
充実したいのちはない
いまここが充実しないかぎり
充実した人生はない
たいせつなことは
いまここを
具体的に
どう動きどう充実させてゆくか-
ただそれだけである
<だろう>は
当てにならないから・・・・・
<だろう>は
当てにならないのだ
アノバチ
コノバチ
思い当たるバチがいっぱい
それでもまだ
天がわたしを
生かしてくれる


