志賀内泰弘さんのメルマガからご紹介します。(^_-)-☆
『カッコイイかカッコ悪いか』
新幹線の新大阪駅。
田中作蔵は、ちょっと早めに駅に着いたため、 ホームのガラス張りの待合室に座っていた。
作蔵は大手食品メーカーの社長をしている。
ちょっとプライベートの用事があったので、 先に秘書を返して一人遅い新幹線に乗ることにしたのだった。
退屈だった。
会社では、いつも誰かがそばにいる。
そして何か喋っている。
まだ、予約している列車が来るまで、15分ほどある。
「雑誌でも買って来ようか」と思ったその時だった。
斜め前に座っていた母娘の会話が耳に入った。 若い母親が、7、8歳くらいの女の子にこう言った。
「それ拾いなさい」 作蔵が、母親の視線の方向に目をやると、 そこには、ちょっとひしゃけたビールの空き缶が落ちていた。
女の子は、携帯ゲームに夢中だった。
チラッと見て答えた。
「イヤ」 「いいから拾って、ゴミ箱に捨てて来なさい」
それは、明らかにその母娘が落としたものではなかった。
作蔵は、ちょっといい気分になった。
ホームに落ちているゴミを、娘に拾わせる。
なかなか良い教育をしているなと思った。
ところが・・・。
「イヤ!」 女の子は、語気を荒げて言った。 「なぜ?」 母親は、けっして怒るわけではなく、穏やかに訊いた。
理知的な顔つきをしている。
きっと育ちがいいんだろうなと思った。
「だって、損だもの」 「どうして損なの? 損てどういうこと?」
それまで、穏やかだった母親の口調が、急に厳しくなった。
作蔵は、この母親に興味を持った。
どう女の子をしつけるのだろうかと。
しかし・・・その目論見は大きくはずれた。
なぜなら、問題の空き缶が目の前から消えてしまったからだった。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
母娘の前を通り過ぎた青年が、ちょっと屈んだかと思ったら、サッと空き缶を拾っった。
それだけではない。
その青年は、ティッシュをポケットから取り出すと、 何枚かをつまんで床に零れたビール拭ったのだ。
「え?!」 女の子は再び、ゲームに夢中になった。
母親は唖然とした顔をしている。
いや、唖然としたのは、作蔵の方だった。
あまりにも自然というか、それは「美しい」と言っても過言ではないような自然な行動だった。
よくは観察できなかったが、青年の風体はあまり芳しいと言えるものではなかった。
なにやら、薄汚れたTシャツにあちこちが破れたジーンズをはいている。
首にはキラキラと光るチェーンみたいなものを掛けていた。
何より、黒いサングラスが作蔵の印象を悪くしていた。
(いかん、いかん。人は見てくれじゃないな)
作蔵は、そう反省した。
社長という仕事をしていると、 一人の人間と長い時間続けて話をするということが少なくなる。
さらに、毎日、何人もの新しい人と会う。
そのため、ついつい外見で人を判断してしまうのだった。
(これからは気を付けよう)
「え?!」 今にも列車が動き出そうとしている発車直前。
作蔵がグリーン車の窓側席に座って、前ポケットに置いてある雑誌に手を伸ばしたその時だった。
「お隣に失礼します」 と声を掛けられた。
その声の主に目を向けると、 さきほど待合室でビールの空き缶を拾った青年だった。
「あ、はい」 作蔵は、返事にならないような返事をした。
それは、ちょっと驚いたからだった。
もちろん指定席である。
「隣は空いてますか」 と尋ねるわけではない。当然、指定席のチケットを持っているから座るのだ。
先に座っている人に、「お隣に失礼します」などと、 挨拶されることなどめったにない。
青年は笑顔で会釈をし、荷物を棚に上げると作蔵の隣に腰かけた。
いや、正確には、笑顔だったかどうかわからない。
サングラスをしたままなので、表情がよくわからないのだ。
耳たぶには、イルカの形のイヤリングがキラキラと揺れていた。
青年は、再び、ちょっとだけ腰を浮かせて後ろを振り向く。
「恐れ入ります。座席を少しだけ倒してもよろしいでしょうか」
後ろの中年男性が、パソコンの画面から顔をチラッと上げて、 「どうぞ」 と答えた。
作蔵は、またまた感心した。
「うん、この若者はやるじゃないか」
もし、うちの会社に就職試験を受けに来たなら、 社長の特別枠で推薦して入社させたいと思ったほどだった。
いや、もし、他の会社に勤めていても、ヘッドハントしたいくらいだ。
そんなことを、つらつらと考えているうちに、 「まもなく京都、京都です」という車掌のアナウンスが聞こえた。
隣の席の青年は、腕組みをして目をつぶっている。
いや、目をつぶっているかどうかは、サングラスをしているのでわかならいなが・・・。
まだ京都では降りないらしい。
さらに30分が経った。
作蔵は、青年のことが気になって気になって仕方がなかった。
いったい、どんな生い立ちなんだろう。
どんな仕事をしているのか。
いや、まだ学生かもしれない。
10代・・・いや、そんなことはなかろう。
25歳くらいか。
ひょっとして、30代かもしれない。
彼がもし名古屋で降りてしまったら、二度と会うことができない。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなってしまった。
青年は、姿勢を変えずにややうつむき加減で眠っている様子。
作蔵は、失礼かとは思いつつも、思い切って声をかけてみることにした。
「あの、お休みのところ申し訳ございませんが・・・」
そう言うと、青年は、ビクッとして顔を上げた。
そして、作蔵の方を向いて腰を浮かせた。
「あっ、ごめんなさい。どうぞ」 どうやら、作蔵がトイレに行きたいのだと勘違いしたようだった。
「い、いえ、そうではないのです」 「え・・・?」 青年は、腰を少し浮かせたまま、サングラス越しに作蔵を注視した。
「大変唐突ではありますが、一つ、あなたにお聴きしたいことがあります」
「はあ・・・」 青年の驚いた様子が見てとれた。
「先ほど、新大阪駅の待合室でのことです。あなたは、空き缶を拾われましたよね」
「・・・はい」
「そして、ティッシュで床を拭いた」
「あ、はい」
「なぜ、そんなこと・・・と言っては失礼かな、そういうことが自然にできるのですか」
青年の返事はなかった。
「いったい、このシジイは何者なんだ」と思われているに違いない。
作蔵は、少し後悔をした。
しかし、せっかくの機会を逸するのは性分に合わない。
臆することなく、さらに言葉を続けた。
「本当に、隣の席になったというだけで、こんなことをお尋ねして申し訳ありません。 年寄りのことだと思って勘弁してください。さきほど、あの空き缶をね、近くに座っていた若い母親が、小学2年生くらいの娘さんにね、『拾ってゴミ箱に捨てて来なさい』と言っているのが聞こえたのです。そうしたらですね、その女の子が『損だから嫌だ』と言うんですな。私もそれを聞いて、ちょっとだけムッとしたのですが、 何が損なんだろうとチラッと考えたりしましてね。その母娘の会話の続きがどうなるかと注意して見守っていたところに・・・」
「ハハハッ」 そこで、作蔵の言葉をさえぎるようにして、青年が笑いだした。
「・・・」
「僕がその邪魔をしてしまったのですね」
「いや、邪魔というわけじゃなく・・・ご立派な方だと思いました。本当に」
「やめて下さい。ご立派だなんて」
「いやいや、立派です。なかなかできることではありません」
「僕は、そんなこと考えたことはありませんよ」
青年は、大きく首を振った。
「これまた謙虚な」
「いえ、謙虚でもなんでもないんです。これは生き方の問題なんです」
そう言うと、青年は、かけていたサングラスをはずし、話を続けた。
それは、二重瞼で、まるで歌舞伎役者のような凛とした瞳をしていた。
「あのですね。その女の子が、『損だから嫌だ』と口にしたそうですね」
「はい」
「僕はね、そういうのを否定はしないんです。 世の中、誰かが得をすれば、誰かが損をする。それは仕方のないことです」
「ふむ」
「でもね、僕は根性が曲がっているというか、ひねくれ者なので、そういう考え方に抗って生きたいと常々思っているんです」
「ほほう、抗う・・・どういうふうに?」
「はい、損か得かという判断基準は捨てちゃうんです。それでね、カッコイイかカッコ悪いか、それだけで決めているんです」 「・・・!」
「あの時、この列車が来るまで時間があった。ホームで待つのもちょっと寒いし、待合室で時間を潰そうと思って中へ入った。すると、目の前に空き缶が落ちているのが目に入った。辺りにビールが零れている。これは、拾った方がカッコイイと思った。さらに、拭いた方が、もっともっとカッコイイと思った。ただ。それだけのことです」
「カッコイイですか」
「そう、そうした方がカッコイイじゃないですか。反対に、そのままにして、見て見ぬフリをしたらカッコ悪いでしょ」
「ということは、あの時、私も含めてあの場にいた人たちはみんな、カッコ悪い人ばかりでしたね」
「いえいえ、そんな皮肉で言っているんじゃないんです。勘弁してください。他人のことはどうでもいいのです。ひねくれ者の僕に限った生き方ですから」
作蔵は慌てて右手を振って謝った。
「そんなつもりで言ったのではありません。カッコイイとか、カッコ悪いとかいう基準が、あまりにも新鮮で感動してしまったのです」
「感動ですか?」
「はい、感動です」
「そんなのやめてください。僕は道徳とかなんとかいうのが苦手なんです。人に親切にしましょうとか。いつも掃除をしましょうとか、そういうのがどうも・・・。けっして良い子ではありませんでしたから。どっちかというと不良みたいな・・・。単純なんですよ、カッコイイか悪いかで判断すると」
「それがあなたの生き方なんですね」
「はい、生き方です」
作蔵には、青年の瞳が眩しいほどに輝いて見えた。
その時だった。
バタバタッと、若い女性3人が騒がしく二人の席に近づいて来た。
こういうのをキャーキャーと言うのだろう。
そのうちの一人が、青年の向かって言った。 「あの~ドルフィン・ウェーブの佐久間さんですよね」
「・・・」
青年は困った表情を見せた。
作蔵には何が何かわかならない。
「サインしていただけますか」
「しまった」 と言いつつ、青年はサングラスをはめて答えた。
「いいですよ。でもね、ここは公共の場です。 周りのお客さんに迷惑にならないように静かにね」
二十歳くらいの学生だろうか。
そう言われて、顔を赤らめていている。
「ごめんね。怒ってるわけじゃないからね」
そう言うと、差し出されたキャラクターのデザインの大学ノートにサインをした。
「君たちも?」 と、ささやくように小さな声で訊いた。
「はい、お願いします」 と言い、一人の女の子は、クルッと向きを変えて背中を見せた。
どうやら、白いシャツの背中にサインして欲しいということらしい。
その三人組が去った後、作蔵は青年・・・いや佐久間に尋ねた。
「あなたは、ひょっとして有名なんですね」 「いや、有名というかなんというか・・・音楽を少しやっていて」
「ミュージシャンですか」
「まあ、そんなところです」
「今日は、いい勉強になりました。カッコいいか、カッコ悪いか。そのカッコとは、外見のことではなくて、中身・・・つまり生き方のこと」
「よしてください。若い者をからかうのは」
アナウンスが、もうすぐ品川駅に到着することを告げていた。
この青年、いやドルフィンなんとかの佐久間君に、また会いたいと思う作蔵だった。





