「損」の種をまき続けると、「徳」の花が咲き、「得」の実がなるどんなことが苦難になるのかは人によって違いますが、ほとんどすべての人に共通する苦難として、あえて損するということがあります。

これまでのカウンセリング経験で強く感じるのですが、生きている中で「自分が好きなこと」「やりたいこと」「自分の生きる道」を見失ってしまったと感じている人が、かなり多くいます。
あなたには、「自分の好きなことは、これ」「自分の道は、これだ」という、明確な何かがありますか?
もし、自分のやりたいことや、進んでいく「道」がわからなくなっているとしたらーーー
「それは、なぜか」という話をしようと思います。
人が道に迷ってしまう一番の理由は、「学んできたから」です。
一体、何を学んできたのか?
それは、「自分が傷つかない方法」です。
自分が怒られない方法、・自分が笑われない・ひどい目に遭わない・損しない・悲しい目に遭わない方法をたくさん学んできたのです。
自分の道がわからなくなっているのは、「本来進むべき道」ではなく、そのようにして「自分が傷つかない方法」だけを一生懸命に学んできたからです。
それは世間体というものであったり、常識であったりします。
そういうものをたくさん学んで、自分の「鎧」として身のまわりにたくさんくっつけてきたのです。
「自分が傷つかない方法」とは、別の言い方をすれば、「自分が損しない方法」です。
「損したくない」から、自分が本当にやりたいことから目をそらして、イヤな目に遭わない方法をずっと学んできたのです。
だから「好きなこと」ではなく、「できそうなこと」だけを選んできた。
これは、親の性格にも大きな影響を受けていて、「損してもいいよ」という親であれば、子どもが外で傷ついても、失敗しても、黙って見守ってくれます。
でも、親が「損しないように、傷つかないように」という不安に包まれた親であれば、「自分が傷つかない方法」を、子どもにいっぱい教えていきます。
子どもが傷ついたり、ケンカしてきたり、問題を起こしたりすると、自分が面倒だからです。
つまり、「損する」とは、親の教えを破ることでもあるのです。
そして、損しない方法をたくさん学ぶと、何ができあがるか。
「いい人」ができあがります。
尖っていない、丸っぽい人ができあがります。
弱い人ぶったり、かわいこぶったり、できる子ぶったりして、世間の波をスルッと抜けようとする。
努力なしに、カッコよくスルッと何かを成し遂げたい。
そういう意識が、すごくすごく強くなっていきます。
たとえば、起業して自分で事業を始めていくにも、出版をして本を売っていくにも「スマートにカッコよく」というのは幻想です。
いつもではないのですが、ときには、どこかで泥にまみれ、どこかで必死に、どこかでカッコ悪くやっていく必要が絶対にあります。
僕もそうですが、「努力せずにスマートにカッコよくやって、うまくいかせたい」と思ってしまうものです。
でも、それをしようとすればするほど、前に進みません。
「あえて損する」ことを思い切って実践すると、何の評価もされないかもしれないし、全然報われないかもしれないし、何の得にもならないかもしれないし、全然結果が出ないかもしれない。
これは、ある種の「苦難」です。
でも、チャレンジしてみると、自分が強くなります。
しかも、チャレンジの最中はカッコ悪いこともしなくちゃいけないけれど、その経験によって結果的にカッコよくなる。
「いい人」から「カッコいい人」に変われるのです。
「いい人」は、「どうでもいい人」と言われます。
どうせなら、「どうでもいい人」よりは「カッコいい人」になってほしいと思います。
「イヤだな、やりたくないな、面倒くさいな、苦しいだろうな」
そういうことをする、ということです。
今まで、あえて見ないようにしてきたこと仕事関係、人間関係、ダイエット、家族の問題、お金のことを、今ここで書き出してみてください。
「無意識のうちにすごく避けているよな」というものを思い出してください。
あなたにも「人生の課題」として、必ず一つや二つはあると思います。
そのことと、がっぷり四つに組む。
そんな経験がある人ほど、突き抜けた、いい笑顔が手に入るのではないかなぁと思うのです。
そんな「損」という種をまき続ければ、やがて必ず「徳」という花が咲き、「得」の実がなるのだと思います。
【出典】 心屋仁之助 心屋仁之助のあなたは「このため」に生まれてきた!






