いま思うことは、吾唯知足(われただたるをしる)。

欲を出さない、ということです。
禅堂にいると、それこそなにもないんですよ。
カネもなければ、着るものだって何百年とモデル・チェンジのない衣だけ
それも夏と冬の2枚しかない
ラジオもテレビも新聞もない
食い物は一汁一菜
一番質素に暮らしているんです。
それでも人間は生きていけるんじゃないかと。
それで充分じゃないかと。
もしそれになにかが加われば、ものすごく豊かに感じるわけです。
だからまず一番どん底の暮らしを知って欲しいと思う。
いまは生まれたときからなんでもありますから、貧乏を知らないのです。
際限のない欲が人間を不幸にしているのです。
利休がいったように、「家は漏らぬほど、食は飢えぬほど」がいい。
1年間に3万人以上もの自殺者が出ているそうですね。
現代は多くの人が精神的に追いつめられて、心が曲がってしまう時代なのでしょう。
顕微鏡でゾウリム シやアメーバを見るでしょ。
それを針で突っつくと逃げて行くんです。
意志がないように見える虫でも、死にたくないんですね。
人間って、あまり賢いとよくないね、理屈ばかり考えますから。
人間は、誰だって片道切符です。
一日暮らしなんです。
僕なんか、朝、目が覚めて『これ本当に生きているのかいな。ひょっとしたら、生きていないのに空想で夢まぼろしを見ているのかもしれない』なんて。
寝るときも、『はい、さようなら』で休みます。
一日暮らし。
いい言葉でしょ。
明日はおまけにもらった一日。
心貧しければ大天地、大ならず。
心豊かなれば小天地、小ならず。
狭い心からは狭い世界しか見えないけれど、広い心でいればどこにいても宇宙を感じとれます。
そうやって生きると、毎日毎日が平和で楽しい。
日々是好日です。
※ヘンリ・ミトワ氏(天竜寺南芳院留護)のインタビュー記事より
