中野信子氏の心に響く言葉より…


ウォーターサーバー Frecious(フレシャス)

 

本書を執筆するにあたって、日本人が「いいえ」を使っている場面を見たことがあるかどうかについて、日本に20年以上住み、日本語が堪能で、日本人が大多数の職場で仕事をしているアメリカ人の友人にも確認してみました。 


即座に返事が来ました。


ないね、と。


たしかに、アメリカ人はNOをカジュアルに使い、軽快で合理的なコミュニケーションを選択してきた。


アメリカ人はアメリカ人なりに忖度したり、遠回しに言ったりということはもちろんあるけれど、やはり一方で、日本人は本当に「いいえ」を使わない。


ほとんど死語だ。


いいえの代わりに使う言葉は「難しい」「厳しい」「検討する」「また今度」「いつかね」「行けたら行く」な ど、ものすごいバリエーションがあると。 


ちなみに、このアメリカ人とはデーブ・スペクターさんのことです。


私たちは、NOを言えないというより、NOをあえて言わないコミュニケーションを古来、選択してきたのではないでしょうか。


NOを言わずに伝える方法を何とかして見つけ出し、工夫してきた。


それが、最も洗練された形で息づいているのが京都の文化ではないかと思うのです。


たとえば、京都では家同士でも300年ぐらいお隣さんです。


しかし、300年もずっと隣同士でいるとなると、これはトラブルが起きたら大変なことになるわけです。


そういうところでは、本当は不満があって、困っていて、イヤだなと思っていても、それを相手の気持ちに火をつけてしまうことなく、うまく伝える方法が必須になります。


そういったところで磨かれたコミュニケーションが、あの独特のエレガントな方法ではないでしょうか。


東京で生まれ育った私から見ると、いかにも内容そのものが毒であったとしても、やはりその伝え方は洗練されていて、アートを感じさせ、憧れの気持ちが生まれます。


隣同士の間柄でトラブルをできるだけ避けていくのには言葉のアートともいうべき、言い回しの工夫が必要とされます。


長期的に見たときに互いの心理的負担をできるだけ下げ、互恵関係を結んでいけるようにするには、常からの努力がいるということになります。


まさに破壊は一瞬、建設は死闘とまではいかずともたゆまぬ終わりのない努力、というのが、人と人との間柄ではないでしょうか。



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京都式回答例が本書の中にいくつか書いてあった。


『関係がそれほど深くない人から、無理な依頼をされて断りたい。

どのように返す?』


【京都式の回答例の1】 

(京都市に代々お住まいの女性に聞きました) 「いや、うれしおすけど、うちにはちょっと。もっと上手にしはる方、探しまひょか?」 


【京都式の回答例の2】(京都市在住の80代女性に聞きました) 

「ちょっと考えさせてもろうて、かましまへんか。ちょうど今さっき、恩義のあるお人からお願いごとをされてしもてな。今、それで頭がいっぱいで考えられへん。お時間いただきたいんやわ。すんまへんなぁ」 


京都式では「ちょっと」で濁した場合は基本、拒否を意味する。


さらに、自分より適任者がいることを伝えて、相手からの依頼に応えるつもりがないことを伝える。 


イケズ度をより高くする場合には、「京都式の回答例の2」のように、相手が自分にとって「恩義を感じるレベルの人ではない」ということも暗に遠回しに伝えられる言い方で。


人間関係においては、必ずしも「NO」を伝えることが正解でない場合が多い。


これは、人間関係だけでなく、一般的な外国との外交においてもそれは言える。


はっきりと「NO」というと、相手の国民感情に火をつけてしまうことがあるからだ。


だからこそ、婉曲に、そしてエレガントに伝える伝える必要がある。


京都式の「言いにくいことを賢く伝える」技術…


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