藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

《やがて死ぬ けしきは見えず 蝉(せみ)の声》


という芭蕉の句がある。


蝉の寿命は一週間といわれる。


しかし、そんなそぶりも見せず、蝉は 与えられた夏の一瞬の生を天地いっぱいに、鳴いている。


「いま」「ここ」に完全燃焼している姿を芭蕉は感動をもって、とらえている。


人生には「いま」という時間と、「ここ」という空間以外には存在しない。


生きるとは、「いま」「ここ」を間断なく生きる、ということである。


禅者のいう「生也全機現(しょうやぜんきげん)」とは、いまここを最高に生ききれ、ということである。


そのときに、いのちは全機(すべての働き)を現出させる。


「いま」「ここ」を完全燃焼する。


「いま」「ここ」に全力を尽くす。


そういう生を生きたいものである。



『小さな人生論 2』致知出版社https://amzn.to/3SxuN6Q



蝉の幼虫は土の中で7年を過ごし、地上に出てくるとわずか1週間で死ぬ、とよく言われています。


が、しかし、日本には7年も過ごす蝉はおらず、アブラゼミで3~4年、クマゼミで4~5年だそうです。


いずれにしても、長い年月を地中にいて、わずか1週間で死んでいくというのは儚(はかな)い命、としかいいようがありません。


明日死ぬかもしれない、そんなそぶりもみせず、「いま、ここ」をしっかり鳴ききる蝉。


「生也全機現」の後には「死也全機現(しやぜんきげん)」という言葉が続きます。


臨済宗円覚寺派管長、横田南嶺(よこたなんれい)師は、

「全機現とは、己のすべてを全うし尽くすことだ。生と死は別ものではない。生を全うすることが、死を全うすることでもある。

花が精一杯咲くことは、精一杯散ることでもある。一つのものだ。今生きていることを大切に、今日一日笑顔でいることこそが『全機現』なのだ」と言います。


また、禅の言葉に、「両忘(りょうぼう)」があります。


「両忘」とは、すべての対立概念を捨てることです。


善と悪、愛と憎、美と醜、有と無、生と死、という二元対立の概念を捨てる。


死ぬことを忘れ、なお生にも執着しない。


そのためには、「いま、ここ」を生きるしかありません。


未来もないし、過去もない、どこまでいっても、「いま、ここ」です。


今日一日をしっかり生きるということです。


夏に鳴く蝉の如く…


「いま、ここ」をしっかりと生きてゆきたいと思います。 


 ■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪http://www.facebook.com/hitonokokoro 



【EXETIME(エグゼタイム)】旅行カタログギフト