長崎に、原子爆弾が落ちました時、当時、十才であった荻野美智子ちゃんという女の子の作文をちょっと聞いて下さい。
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雲もなく、からりと晴れたその日であった。
私たち兄弟は、家の二階で、ままごとをして遊んでいた。
お母さんは畠へなすをもぎに行った。
出かけに、十一時になったら、ひちりんに火をおこしなさいよ、と言いつけて行った。
けれども、私たちは遊びが面白いので、時計が十一時になったのに、一人も腰を上げず、やっぱりままごとに夢中になっていた。
その時、ピカリと稲妻が走った。
あっと言うた時はもう家の下敷になって、身動き一つできなかった。
何とかして出ようとすればするほど苦しくなる。
じっと外の様子をうかがうより仕方がなかった。
二人の姉の姿が外に見えた。
大喜びで「助けて、助けて」とわめいた。
姉たちは、すぐ走り寄って来て、私を助け出そうとした。
しかし土壁の木舞いの組んだのが間をさえぎっていて、押しても引いてものけられなかった。大きい姉が、
「我慢しろ。ねえ、もうじきお母ちゃんもお父ちゃんも帰ってくるけんね。姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね。」
励ましておいて、向こうへ走って行った。
私は、縦横に組んだ木舞いの隙間から、わずかばかり見えてる外を、必死に見つめて、お母ちゃんが来るかお父ちゃんが来るかとまっていた。
やがて、大きい姉ちゃんが、水兵さんを四・五人連れて走って来た。
その人々の力で、私は助け出された。
フラフラよろめき、防空壕の方へ行こうとした。
家の下から、助けてえ助けてえと叫ぶ声が洩れてきた。
弟の声であった。
大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、沢山の瓦を取りのけて、弟を引き出した。
その時、また向こうのほうで、小さな子の泣き声が洩れてきた。
それは二つになる妹が、家の下敷になっているのであった。
急いで行ってみると、妹は大きな梁に足を挟まれて、泣き狂っている。
四・五人の水兵さんが、みんな力を合せて、それを取りのけようとしたが、梁は四本つづきの大きなもので、びくともしない。
挟まれている足が痛いので妹が両手をばたつかせて泣きもがいている。
水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
よその人が水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、水兵さんたちは向こうへ走って行ってしまった。
お母さんは、何をまごまごしてるんだろう、早く早く帰って下さい。
妹の足がちぎれてしまうのに。
私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びして、あたりを見まわしているばっかりだった。
その時、向こうから矢のように走って来る人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。
女の人だ。
裸らしい。
むらさきの体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。
ああ、それがお母さんでした。
「お母ちゃん。」
私たちも大声で呼んだ。
あちこちで火の手があがり始めた。
隣りのおじさんがどこからか現われて、妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、うんうん力んでみたけど、梁はやっぱり動かない。
おじさんはがっかりしたように大きい溜息をついて「あきらめんばしかたのなか。」
いかにも申し訳なさそうに言って、おじぎをしてから向こうへ行ってしまった。
火がすぐ近くで燃えあがった。
お母さんの顔が真青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下している。
妹の小さい目が下から見上げている。
お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方をみまわした。
やがて、わずかな隙間に身を入れ、一ヶ所を右肩にあて、下くちびるをうんとかみしめると、うううーと全身に力を込めた。
パリパリと音がして、梁が浮きあがった。
妹の足がはずれた。
大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。
お母さんも飛びあがって来た。
そして、妹を胸にかたく抱き締めた。
しばらくしてから思い出したように私たちは、大声をあげて泣き始めた。
お母さんはその声を聞くと、気がぬけたのか、そのままそこへ、へなへなと腰をおろしてしまった。
お母さんは、なすをもいでいる時、爆弾にやられたのだ。
上着ももんぺも焼き切れちぎれ飛び、ほとんど裸になっていた。
髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように赤く縮れていた。
体中の皮は大火傷で、じゅるじゅるになっていた。
さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ皮がペロリと剥げて、肉が現われ、赤い血がしきりににじみ出ていた。
お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみ始め、悶え悶えてその晩死にました。
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これは、特別力持ちのお母さんだったでしょうか。
四人も五人もの水兵さんが、力を合せても、びくともしないものを動かす、力持ちのお母さんだったでしょうか。
皆さんのお母さんも皆さんがこのようになったらこうせずにおれない。
しかもこの力が出てくださるのがお母さんという方なんです。
月刊誌『致知』東井義雄先生の著書『自分を育てるのは自分』
※思わず涙する感動秘話より
