立命館アジア太平洋大学学長、出口治明(はるあき)氏の心に響く言葉より…


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「人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません」(ヘロドトス『歴史』)紀元前6世紀ごろの話です。


アテネの政治改革者として知られたソロン(財産の大小で市民の権利義務を定める財産政治を実施)が、リディアの王様、クロイソスを訪ねます。


当時、クロイソスは、ギリシア人の都市を次々と服属させて領土を広げ、莫大な富を手に入れていました。


「我こそが世界でもっとも幸福な人間」だと思っていたことでしょう(ちなみに、リディアは世界ではじめて金属貨幣を鋳造した国です)。


その彼が、ソロンに尋ねます。


「あなたが会った人の中で、もっとも幸福な人は誰か?」


もちろん彼の期待した答えは、「あなたです」。


ところが、ソロンはそうは答えませんでした。


彼が「幸福な人」として挙げたのは、


1番目がテロス、


2番目がクレオビスとビトンの兄弟。


理由は、「見事な死に方をした人たちだから」でした。


この答えに、クロイソスは大いに不満を感じます。


誰よりも金持ちで、有名な自分が、名もない、富もない人たちよりも幸福度で劣るとされたわけですから。


そこでソロンにしつこく尋ねます。


「私自身の幸せはなんの価値もないと思われたのか」


それに対するソロンの答えはこうです。


人間の一生は1日として同じことが起こることはなく、その生涯はすべて偶然である。


今、運に恵まれているからといって、それが一生続くとは限らない。


なので、その人が幸せだったかどうかは、その終わり方を見るまでわからない。


だからこそ、人間死ぬまでは、「幸運な人」とは呼んでも、「幸福な人」と呼ぶのは差し控えなければならない、と。 


クロイソスは現状では「幸運な人」かもしれませんが、「幸福な人」とは言えないというのです。 


そして、「幸福な人」とは、ソロンいわく「見事な死に方をした人」なのです。 


実際、その後のクロイソスは、幸運から見放されます。 


愛息を失い、さらにはペルシアとの戦いに敗れ、国を失ってしまうのです。


そして、焚刑(ふんけい)に処せられようとするまさにそのとき、かつてソロンが彼に語った「死ぬ瞬間まで、何人も幸福であるとは言えない」

という言葉の意味をついに納得するのです。 


これは、古代ギリシアの歴史家・ヘロドトス(紀元前484~?)の記した『歴史』に出てくる話です。


ソロンとクロイソスのやり取りは、「幸福問答」として知られています。



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《人を看(み)るには、ただ後(のち)の半截(はんせつ)を看よ》(菜根譚)


という言葉がある。


人生を評価するには、後半の生きざまを見よ、ということ。


人生の前半にいくら立身出世をしたり、功成り名を遂げても、後半生で自己実現を果たさなかったら、それは成功者とはいえない。


それは、会社にいる現役時代に、どんなに活躍し、地位や名誉を獲得したとしても、定年後、人から必要とされず、何もすることがなく、テレビばかり見ていたら、それは失敗の人生だ、ということになる。


反対に、現役時代はあまりうだつがあがらず、目だった活躍もしなかったが、定年後は、まわりから必要とされ、あっちこっちからお呼びがかかり、水を得た魚のように、いきいきとして活躍している人もいる。


人生は、「終わりよければすべてよし」だと言われる。 


シェイクスピアの戯曲の中にも出てくる名言だ。


マザーテレサは、「死を待つ人の家」を開設し、行き倒れの人や、道端で倒れている瀕死の病人を見つけると、ここに連れてきた。 


マザーは、「たとえ、人生の99%が不幸であったとしても、最後の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」


と語り、最後の瞬間を安らいだ気持ちで過ごしてもらうよう手厚く介護した。 


そして、ほとんどの人が、息を引き取るとき、「ありがとう」と言って亡くなったそうだ。


「前半生ではなく、後半生を見よ」という言葉を胸に刻みたい。


 

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