太刀川英輔(たちかわえいすけ)氏の心に響く言葉より…
年を追うごとに頭が固くなるとよく聞くけれど、本当にそうなのか。
一方で、経験があるから創造できるのも間違いない。
年齢と創造性の関係はどうなっているのだろう。
変異と適応をめぐる仮説を補ってくれる理論が、心理学や脳科学でも研究されている。
心理学者のレイモンド・キャッテルは、人の知能には二つの異なった性質があることに気づいた。
それを彼は「結晶性知能」と「流動性知能」と呼んだ。
結晶性知能とは、学校での学習や社会での規範など、経験によって培われる知能をさす。
いっぽう、流動性知能は、新しいアイデアを考えだしたり、新しい方法で課題を解決したり、新しいことを学習したりするための知能だとキャッテルは定義している。
この二つは、分類の軸の差はあるが、私がこれまで指摘した天才のなかにある秀才性と狂人性の二つの概念に呼応しているように見える。
キャッテルの研究によれば、流動性知能は一〇代で急激に 発達するが、二〇歳前後をピークに、その後は徐々に下がっていく。
逆に、結晶性知能 は、経験を積んで、年を重ねれば重ねるほど高まっていくという。
さらに調べていく中で発見した興味深い事実は、この流動性知能の曲線が、犯罪をどの年齢で犯しやすいかを調査した「年齢犯罪曲線」のピークとほぼ一致することだ。
まさに、狂人性と流動性知能の一致をここに見ることができる。
成長とともに危険を冒さなくなる代わりに、私たちは創造性の一部を失っていく。
もし社会が安定していて状況の目的(WHY)が変わらないなら、結晶性知能を備えた熟練者は効率的に活躍できるだろう。
だが、世界は急速に変わり続けている。
つまり時代とともに WHY も変化してしまうのだ。
この変化に対応するには新しい方法(HOW)を取り入れる柔軟な流動性知能が必要だ。
しかし年をとるにしたがって流動性知能は減少し、信じている WHYも HOWも固定化するため、熟練者ほど、変化の激しい時代には適応できない。
つまり、かつてないほど変化が激しく先の読めない現在の社会では、年功序列の組織では立ち行かず、変化に対応できる世代に危険を承知で意思決定の権限を与えたほうが良い結果を導くということだ。
二〇一八年の日本の大手上場企業一〇〇社の経営者の平均年齢は、五七・五歳。
一方で アメリカの主要企業一〇〇社の経営者の平均は四六・八歳。
この差が、日本が高度成長期以降の変化に対応できなかった理由の一端かもしれない。
アメリカと日本の平均株価を比べると、一九九〇年代初頭はほぼ差がなかった。
しかしそれ以降は、日本株がほぼ横ばいなのに対して、この三〇年でアメリカ株は約一〇倍まで伸び、決定的な差がついてしまったのは、日本にとって本当に残念なことだった。
ちなみにノーベル賞受賞者を調べてみると、受賞した研究を開始した平均年齢は 三六・八歳だという。
創造性が発揮される変異と適応の思考におけるベストバランスは、本来そのあたりの年齢なのかもしれない。
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太刀川氏は、我々は「流動性知能」を高めるための教育をまったく受けていないのだから、単純に年齢のせいにしてあきらめる必要はない、という。
また、逆に「結晶性知能」が熟すのに時間がかかると言っても、若者には物事が分らないというわけでもない、と。
物事の本質を理解するための教育があれば、「結晶性知能」のピークはもっと早く訪れるかもしれないからだ。
「流動性知能」とは、「狂気」や「狂愚」でもある。
明治維新を起こした若き変革者たちには、ある種の狂気や狂愚があった。
まさにそれは、「諸君狂いたまえ」と言った吉田松陰の言葉にあらわれている。
だからと言って、年齢を重ねた大人や年配者に「狂気」や「狂愚」がないわけではない。
スティーブ・ジョブズや、エジソンやアインシュタイン、イーロンマスク等々の時代の変革者たちは、年齢を重ねても、ある種の「狂気」をもっていた。
もしも今、自分が年齢を重ねていて、自分にその種の「狂気」や「狂愚」がないと自覚しているなら、早々に、危険を承知で若手にバトンを渡し、その「狂気」にみちたアイデアを応援する側にまわる必要がある。
今一度…創造性と年齢の関係について思いを巡(めぐ)らせたい。
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