松下幸之助氏の心に響く言葉より…

何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、実際はそうは問屋が卸さない。
人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。
しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。
この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく、人生はただいたずらに暗黒ということにな ってしまう。
憂事(ゆうじ)に直面しても、これを恐れてはならない。
しりごみしてはならない。
“心配またよし”である。
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組 む。
力をしぼる。
知恵をしぼる。
するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。
新しい道がひらけてくるのである。
まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人 の世の味わいは限りなく深いといえよう。
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本書の中に「困っても困らない」という珠玉の一文があった。
『ひろい世間である。長い人生である。その世間、その人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。今まで楽々と考えておったことでも、それがなかなか思いつかなくなってくるのである。とどのつ まりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける。 断じて行なえば、鬼神でもこれを避けるという。 困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである。要は考え方である。決意である。困っても困らな いことである。 人間の心というものは、孫悟空の如意棒(にょいぼう)のように、まことに伸縮自在である。その自在な心で、困難なときにこそ、かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。』
一休宗純(そうじゅん)禅師が、亡くなる前、弟子達に三巻の遺言を残したという。
もし、寺でどうにもならないほど、困ったことがあったら、この三巻の遺言を開けなさい、と。
一休禅師が亡くなって何年かして、お寺にほんとうに困ったことが起こり、その遺言書を開けることになった。
すると…
一巻目には「大丈夫」
二巻目には「心配するな」
三巻目には「何とかなる」
と、書いてあったという。
嫌なことや、困難なこと、心配事から逃げれば逃げるほど、それらに追いかけられる。
同じような、嫌なこと、困難、心配事がまた起こるということだ。
人生に起こる様々な問題は、生まれる前に、自分が自分に設定してきたといわれる。
その問題を乗り越えることによって、自分が成長するためだ。
そのため、自分に必要な問題は、何回でも繰り返し、それを乗り越えるまでやってくる。
だからこそ、すべての困難や心配事は、「大丈夫」「心配するな」「なんとかなる」。
心配またよし、困っても困らない、という気持ちで日々過ごしたい。
■【人の心に灯をともす】のブログよりhttps://www.facebook.com/hitonokokoro
