初めて知覧に行きました。 


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

特攻機は開聞岳を旋回しながら南の空に消えて行ったと言います。

10,20代の若者です。 

私は、68歳。

資料館の横の広場で紙飛行機を飛ばしました。遠足の園児が集まり僕も飛ばす。 

私も一人、一人紙飛行機を飛ばし追いかけました。

時代が違うだけで同じ場所でやっていることが違いすぎ!! 


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神風特別攻撃隊は今から80年ほど前、昭和19年(1944)10月20日に編成され昭和20年(1945)8月15日の終戦まで 


 【若き特攻隊員が大切な人に宛てた手紙】 


 ◆大石伍長から妹への手紙◆ 

なつかしい静ちゃん!

お別れの時がきました。 

お兄ちゃんはいよいよ出げきします。 

この手紙がとどくころは、沖なは(縄)の海に散ってゐます。 

思いがけない父、母の死で幼い静ちゃんを一人残していくのはとても悲しいのですが、ゆるして下さい。

 ・・・・・特別攻撃隊の動画はコチラカラhttps://youtu.be/1zbD1XgikYE 


兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のはうが大じなのです。 

もうプロペラまはつてゐます。 

さあ、出げきです。

では兄ちゃんは征きます。 

泣くなよ静ちゃん。

がんばれ! 


 ◆相花信夫・遺書◆ 

「母を慕いて」 

母上様お元気ですか

永い間本当に有難うございました 

我六歳の時より育て下されし母 

継母とは言へ 

世の此の種の母にある如き不祥事は一度たりとてなく

慈しみ育て下されし母 

有難い母 

尊い母 

俺は幸福だった 

ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺 

幾度か思い切って呼ばんとしたが 

何と意志薄弱な俺だったろう 

母上お許し下さい 

さぞ淋しかったでしょう 

今こそ大声で呼ばして頂きます 

お母さん 

お母さんと 


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涙が止まりません!