斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


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私は人に何か頼まれたときは、「どうしようかな」と考える程度のことだったら、引き受けることにしている。


というのは、「とうていできない」と即座に断るようなものでなければ、引き受けてもなんとかなるものだからである。


自分が得意でないこと、あまりくわしくないこと、やったこともないような新しい分野のことを引き受けるのは、こわい。


こわいから断ってしまいがちだ。


しかし、そこは考えものである。


思い切って引き受けると、終わってみればなんとかクリアしているからである。


そして私の場合、それがまたひとつ新しい世界を広げることにつながっている。


たとえば、ある年、私は山形県の観光アカデミーの学長を頼まれたことがある。


父・茂吉にゆかりの地ということで、私も山形県とはなにかと因縁がふかい。


その年は芭蕉生誕三百五十年だったので「芭蕉についてしゃべれ」といわれた。


その時点で芭蕉について私が知っていることといったら、普通の人とほとんど変わらない。


いや、生徒の中には私よりずっと詳しい人もいるに違いない。


私は翌日から勉強を始めた。 


「専門家でないので芭蕉のことなどしゃべれません」と断ってしまったら、芭蕉について 調べる必要もなく、くわしくなることもない。


百パーセント立派な講演をしようとすると、 知らないことはしゃべれなくなる。


しかし私は八十パーセント主義を自認しているから、 付け焼刃で百パーセントとはいかなくても引き受けてしまう。 


あなたも結婚式の司会や仲人を頼まれたり、会議で部署を代表して発表するよう頼まれることがあるだろう。


そんなとき、「できないんじゃないか」と不安になるかもしれないが、 百パーセントをめざさず自分なりの準備をしてのぞめば、なんとかなるものだ。 


頼むほうにしても、どう考えても失敗しそうな人には頼まない。


頼めばなんとかしてくれるだろうと思うから頼むのである。


それを「できない」と突っぱねるのは、せっかくの チャンスがもったいないと思う。


私の例でわかるように、少しばかりの勇気と準備でなんとかなる。


頼まれたら引き受けてみよ、だ。



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多くの人は、自分が知らないことや、あまり得意ではないことを頼まれた時、引き受けるべきか、断るべきか躊躇(ちゅうちょ)する。


そして、できるだけ断る方に意識がいく。


失敗したくないし、惨(みじ)めな結果で終わりたくないからだ。


小林正観さんは「頼まれたときの心得」についてこう語る。


『頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。「適当に」というのは、『適度に』ということです。「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。』

(日々の暮らしを楽にする/Gakken)より


頼まれたことが、たとえうまくいかなくても、それは「頼んだ人の責任」というくらいの「適当(適度)」な気持ちで引き受けてみる。


頼まれごとは、自分の視野を広げてくれたり、これからの新たな方向を示してくれる、大事な「試されごと」だからだ。


他人からの頼まれごとは、セレンディピティ(幸運な偶然)を引き寄せるが、他人が介在しないできごとでは予期せぬ偶然は生まれない。


「頼まれたら引き受けてみよ」という言葉を胸に刻みたい。 


 

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