“祈り”についてのお話です。

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「“祈り”とは何ですか? “お願い”とどう違うのですか?」 という質問を受けることがあります。
祈りとは自分を超えたところにありますので、“自分”というもの(=利私の心)があるうちは祈りではないと思います。
利私の心がなくなったところで、ほんとうのお答えが出るように思うのです。
「いい祈り」とか「悪い祈り」とか、シスターたちもそうおっしゃっていますが、祈りにいいも悪いもなく、また形も言葉もなく、それは目には見えないことです。
祈りとは、自分のためではなく相手のためにすることですから、わたしにとっては生活そのものが祈りです。
生活すべてが祈りなので、特別に何もすることはありません。
まず生活そのものを大事にするのです。
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「限りなく透明に凛として生きる」佐藤初女 著ダイヤモンド社より
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祈りは自分以外のことを想う「利他の心」からくるものでしょう。
お願いは「利私の心」からくるもの。
「自然寛解」(しぜんかんかい)という言葉があります。
これは、病気の症状が何の治療もしないのに、理由もわからないまま消えてしまったような状態の事です。
そして、アメリカでこんなアンケート調査が行われました。
ガンの「自然寛解」を経験した患者50人に、「なぜ回復したと思うか」と聞いたのです。
その結果は驚くべきものでした。
一番多かった答えは「祈る事」。
複数アンケートで、
・祈り68%
・瞑想や運動64%
・ウオーキング52%
・音楽50%
という数字が報告されたようです。
祈る事に大きな効果があるという結果となりました。
そしてこれは何も、病気だけのお話ではないように思います。
何かについて祈るということは、常にそのことを考えて、意識していなければ祈ることはできません。
流れ星に願い事を3回言うと叶うという話も、常にその願い事を思っていなければとっさに言葉に出来ません。
まして、祈りの場合は自分以外の誰かや何かに対して祈る訳ですから、神様も仏様もきっと応援したくなりますよね♪
祈りの力は絶大のようですね(*^_^*)
※魂が震える話より

